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今週の出来事(5/23~5/29)

Random thoughts and head trip [Week. 116]

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今週の出来事を書いていきます。

5月23日(月曜)

役に立つというのはどういうことなのだろう。自らの喜びを他者とのうごめきの中で循環構造にする場合、またそれが資本主義的ルールのうごめきで考えるなら、それは喜びと役に立つが接続されることで循環構造となる。しかし、役に立つが何なのかを僕は知らない。


5月24日(火曜)

有限の中に無限を見る。森、迷宮。
人の時間は有限である。何かの知識を得られる時間は有限である。あらゆる物事を知る時間はない。しかし、他者からの情報を得ることで、時間は無限に近づいていく。有限な人の時間、一枚絵の中に、無限な人と人のうごめきによる情報は時間を無限にする。
時間があるは、時間がないがあることで循環する。

5月25日(水曜)

ひとまずの終わり、そして始まり。循環。


5月26日(木曜)

はじまった。しんどいけど。


5月27日(金曜)

もやもや、これがエネルギーとなる。


5月28日(土曜)

速い思考はその速さゆえの浅さがある。しかし、他者とのうごめきでは、この速さが有効に働く場合が多い。ただこの浅さに嫌気がさし、精神的に乗らなくなることもある。
なので、深くて長い思考ができる時間はいい。


5月29日(日曜)

深くて長い思考と早くて浅い思考は同時並行していくとどこかで混乱が生まれる。循環なのだ。出口と入口をつなげるように相互に補完し合うものだ。
時の流れ、時空の流れがそれらをなめらかにする。

対立するのではなく、力に対して自ら変異し、戦わずして繁栄する。それは問題をプロジェクト化したり対話すること、議論を開くことなのだろう。閉じないのだ。閉じて排除に向かった時、それは循環ではなくなる。一方向的な美しさも心地よさもない、迎合的な滞留しかない。固くなるのだ。対立するのではなく、自ら変異する。これは文脈を読み解きルールを変えるとも言えるのかもしれない。全体の一枚絵という有限の中に、循環という無限を描く。循環にいるという自他未分な感覚が快楽をもたらし、出口と入口をつなげることで、期待と恐怖がつながり解放を感じさせる。また、循環にいながらも異なる存在として、異なる一枚絵と重なる終わりを感じさせる部分、余白に美しさが流れこむ。手放し拡張するということだ。それもまた循環。多層的な循環が美しさと心地よさを同時に宿す。
自他未分な状態の属性で分け、多層的な世界の重なりである個を排除する。それが差別であり、それは出口の外に追いやり循環を失わせる。また、そのうごめきのルールによる状況を慮ることでそのルールは強固なものとなる。
重要なのは出口と入口をつなげる態度、変異する態度である。全体の一枚絵を認識し、その中の循環と、個としての循環への影響を認識したとき、うごめきを感じることになる。入口には大事にしたいものがあり、それを守るために人は出口の外へ異なるものを追いやる。しかし、その行為自体は先延ばしでしかなく、心地よさを失わせる。出口と入口をつなげるには技術がいる。共に回る技術だ。



振り返り

マレビトとなり、旅をする。


【今週のPodcast】
来週には復活するかな….

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