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今週の出来事(5/1~5/7)

Random thoughts and head trip [Week. 165]

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今週の出来事を書いていきます。

今週の振り返り

相容れなさ。
美しく刺激的な情動を生みたい。

5月1日(月曜)

目の前のことをやる自動機械

5月2日(火曜)

少しずつ離れていく意識

5月3日(水曜)

言葉を思い出し咀嚼する。
思考のはじまり。

5月4日(木曜)

まだまだインプットしたい。

5月5日(金曜)

久しぶりに話ができた。

5月6日(土曜)

やはり対話は面白い。
とても有意義。
だいぶんエネルギーが溜まってきた。

5月7日(日曜)

今までひたすらうごめきについて考えていた。
動態的な世界の見方をずっと考えていた。
それのひとつの結論ではないが、耕されてきた感じがする。
しかしそれだけであると、「この世界の見方が他よりも優れている」みたいなズレたことを言いたくなってしまう自分がちょこちょこ出てくる。
つまり満足したいのだ。
この満足したいという欲求に向き合うことがこれからのテーマになっていくのだろうと思う。
この世界の見方を前提とした上でどう満足するのか、どう美しくあるのか、倫理を見出すのか、という部分にキョーミが湧いてきたのだ。
それは思考のエネルギーとなる。また、この世界の見方を世に表現することにもなる。
では、どのような美しさを指向するのか?
それは無為無限に動く線の軌跡にフィクションとしての終着点をうってみることだと想定した。しかし、そうではない方向に向かっている。
自分は知性に美しさを感じるようだ。
知性とは、相容れない動きが、居心地わるく居心地よく共存することだ。
動きの異なる線が交差し個を形づける境界がよく分からなくなりながらも、どこか相容れなさ、違和感がある状態だ。
線の動きは倫理(美しさの方向性)であり、その線の絡まり合いがうごめきであり、個であり存在だ。
動きが近い線同士の絡まり合いは綺麗に形をつくり居心地がよい。
それがそのままでいると、動的平衡状態であることを忘れ、固定されたフィクションをリアルと錯覚するようになる。
そして、それは同じ動きを強要するか、自発的にそう動くよう飼い慣らしてくる。
そうではなく、この居心地の良さを拒否する姿勢だ。それは反芸術などにみる姿勢だと思う。反であること。
それはどちらが優れている正しいというものはなく方向性の差異だ。
ボクはこの居心地の良さを拒否する、その相容れなさをあえて交差させる、その知性に美しさを感じるのだ。珍笑花だ。
なので、居心地わるく居心地よい相容れない動きの美しい重なりを探求したい。

【今週のPodcast】


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