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今週の出来事(6/5~6/11)

Random thoughts and head trip [Week. 170]

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今週の出来事を書いていきます。

今週の振り返り

うごめき的な美しさを表現する方法を模索する。
個の輪郭が交差し崩れ落ちる。その交差をトライコトミーな交差にし、輪郭に不安がまとわりつきながらも、気持ちいい輪郭を模索し描く。
廃材をキャンバスにし、描きこむ。廃材画材だ。
また、現代の固定的なモデルから足を踏み外す物語も描きたい。交差し、踏み外し、新たな我々の輪郭を模索する物語。幸せなどは描かない、不安の物語だ。そこに美しさを見出す。

6月5日(月曜)

最近どっぷり思索に浸かってないなー、脳が爆発してないなーと思っていたが、俺自身の線が大幅に変化していたのだな。
それを受け入れ、新たな馳せる方法を見つけたような気がする。

楽しみだ。

6月6日(火曜)

久しぶりに馳せれた感がある。
一方で仕事は停滞するが。このバランスなのだろう。

チャリに布貼ってみようかな。

6月7日(水曜)

脳が動かない。

6月8日(木曜)

今日は馳せる。

6月9日(金曜)

今日も馳せた。調子がいい。
こんな日はどっぷり浸かりたい。

6月10日(土曜)

少しずつ見出していく。
トライコトミーなうごめき。
膠着した二項対立を乗り越えられるか。

崩れる形を受け入れながら、気持ちい輪郭を模索する美しさ。

6月11日(日曜)

本来、存在は動きである。形などない。動きにめ(ん)が生えることでうごめきとなり、形を認識する。
固定化されたインディビジュアルな形を自己のアイデンティティとして置く現代の我々は、異なるうごめきとの相依的な動きの変容を、自己が崩れると認識する。
つまり自己の輪郭に不安がまとわりつくのだ。
しかし、本質的には不動の形などなく、常に動きは相依的に変容している。
平行線の同質的な動きで、動的平衡状態になっているだけである。
それをアイデンティティとして確立された自己として錯覚しているに過ぎない。
不安はうごめくエネルギーだ。
いずれこれは不安以外の言葉に置き換えられるかもしれない。
しかし今の時代においては、不安は動きの変容とともに我々の輪郭にまとわりつくのだ。

固定化された自己に反抗し、異物との相依的な変容を受け入れ、気持ちいい我々の輪郭を模索する。その行為体にこそ美しさがあると考えている。
この美しさをいかに表現するかが、今の自分のテーマである。
美しさを表現し、情動を生み出せたとき、このプロセス厨な美的感覚は、社会に価値あるものとして実装される。
これが、我々が近代を乗り越える方法ではないか。と考えている。
その行為自体が美しい。

二項対立の問題もある。これは近代に限らず昔からある大きな問題だろう。ここへのアプローチも美しさに取り込んでみよう。トライコトミー(三分法)だ。
単に俳中律が二項対立の対処法ではない。それは、結局優位性の入れ替えを指向したり新たな二項対立を生んだりするだけで、壁に乗るだけだ。乗り越えてはいない。

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