答えが見つからない状況で人は何を考えるのか?
Thought and Trip [Week 6.]
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先週の日曜日、福岡県那珂川市に行ってきました。
今回の目的は?
今回は特に目的はなく、ADDress宇城の家の家守さんからのお誘いで行ってきました。
家守さんの車で、行きは僕の運転、帰りは家守さんに運転してもらいました。
こういう風に『時間』や『役割』をシェアしていくのって楽しいですよね。
那珂川には何があるの?
僕も正直何があるか分かってないんですけど、聞いた話によると那珂川市は全国でも珍しい「人口が増えている地方都市」なんだそうです。
博多駅から新幹線で一瞬で行けることや、ベッドタウンとしての立地の良さなどが要因でしょうか。
ここら辺は機会があれば調べてみたいな、と思います。
行ってみるとたしかに住みやすそうな雰囲気を感じました。
食レポっぽく言うと、“落ち着いた居心地の良さの中に博多っぽさが存在する雰囲気“ですね。
ちなみに僕の“博多っぽい”は都会の女子的なオシャレさ、そして若さのイメージ。
色でいうなら白地に濃い目の赤。もしくは薄めの青。
革ジャンと自転車、そしてコーヒー。
そんな那珂川市にある「コーヒーハウス キャプテン」というお店に行ってきました。
帆船をイメージしたような形のお店で、どこか懐かしい雰囲気を楽しめます。
カフェというよりも喫茶店。
荒野というよりもバイキング。
でもカウボーイがいそう。
キャプテンでは、お昼ごはんをいただきました。
これまた昔懐かしいナポリタンと生姜焼きランチ。
甘めの味付けが昭和っぽさを感じました。
食後は「ウインナーコーヒー」もいただきました。
コーヒーの上に乗っているクリームが美味しい。
しかも“絶対”鼻にクリームがくっつくおしゃれ仕様。
クリームがくっつくのは“絶対”です。
食後はどこへ??
博多南駅前のビル「ナカイチ」という所に行ってきました。
イベントやコワーキング、学生さんなら自習したりもできるビルのようです。
2階はイベントスペース。
地元の方がゆっくりしている隣で学生達がディスカッションしていたり、自習していたりされていました。
続いて3階へ。
3階はコワーキングスペース。
既に入居されている企業も多く、今後ドロップイン利用もできるようになるそうです。
謎の新幹線の席も置いてありました。
場所も面白かったですが、何よりも面白かったのは2階でディスカッションされていた学生さん達のゼミに飛び入り参加させてもらったこと。
参加したゼミとは?
宮崎県日南市の“油津商店街”でも有名な木藤さんが中心となって活動している“木藤ゼミ”という集まりです。地方創生に興味のある・活動している学生さんや社会人が、一緒に学びあっているようですね。
地方創生という共通点はあるのですが、バックグラウンドは様々で、高校生から大学生や院生、社会人の方もいらっしゃいますし年齢も10代から40代まで。
その中で地方創生に向き合いながら新しい価値やあり方を求めている。
自分から情報を掴みにいっている人達ばかりなので、刺激的ですしおもしろかったですね。
特に10代の子達のエネルギーと思考の深さに驚かされました。
年齢は関係ないな、と思わされましたね。
共通言語が存在して対等に話せる、抽象的な表現でも話が伝わるというのは心地よいですね。
ありがたい。
ちなみに、僕は自己紹介で「安心と狂気の探求者」という中二病全開の自己紹介をしたのですが、それを笑顔と共に快く受け入れてくれたのが嬉しかったです。
しかし「安心と狂気の探求者」てめっちゃダサい肩書きだな(笑)
言葉に発してみて気づきました。
たぶんもう2度と言いません。
問いが希少な時代
しかしこれだけ対話をすると様々な事を考えさせられます。
最近感じることで、世の中は“思考する”ことの希少価値が高まっているように感じます。
正解に溢れていて、安心感が蔓延している空気。
安心感とはつまり、思考停止に向かうこと。そして、無関心を生み出していく。対して不安は思考へと向かい、多くの関心を招く。
安心感の空気に答えのない不安の空気が混じってきた時、人はどうなるのか?
僕は自己紹介で「安心と狂気の探求者」という意味不明な肩書きを名乗りました。
その時その場では、僕は得体のしれない存在になった。
好きにはなれないかもしれないが、関心をもたれる存在にはなったのだと思います。
理解できないから、興味を惹かれていく。
ある人は、理解できないものを見つけた時により知ろうと関心をよせる。
そこには良い/悪いの概念はほとんどなく、純粋に得体のしれない存在から問いを得ようとする。
逆にある人は、良い/悪いの概念で捉え、得体のしれない存在を拒否するか異常に意識する。
今、世の中には大きな問いが生まれている。
それをどう捉えるのか、問いの答えを自分なりに探すのか、思考することを拒否し与えられた正解を求めるのか。
在り方は人それぞれだが、今回のように答えが見つからない状況では、良い/悪いの概念で思考すると良くない方向にいく、気がします。
“思考する習慣が無いのは良くない”と正直思っちゃいますが、“思考する時に良い/悪いの概念で捉えるのは危険じゃないかな”とも感じます。
何かこの文章、パラドックス起こしてるような…(笑)
まあでも、これが今僕が感じている事です。
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