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今週の出来事(7/5~7/11)

Random thoughts and head trip [Week. 71]

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今週の出来事を書いていきます。


7月5日(月曜)

拡張変化欲求を満たしながら生きていけるよう調整する。このバランス感覚。


7月6日(火曜)

形にしては手放す。拡張し続ける。


7月7日(水曜)

 かつて種の存続が悦びであった、かつて個としての成功が悦びであった。その先の悦びとは……。
 自己の概念は変化している、かつては種であったり族であったり家であったりした。その後、人となり国民そして個人となってきた。生存欲求、安心安全欲求から承認欲求、自己実現欲求へ。
 その先の自己の概念は多色のうごめきだと考える。そして拡張変化欲求が高まる時代へ。それは意味を持たず変化する世界の実態へと人が変化することなのだ。
 多色のうごめきである自己が拡張変化する悦びと感じる何かは何なのだろうか。それはうごめきの美しさ、ありのままでいられること。形を構築し、手放すこと。ブレンド比率、配置。その様式美のような自然美のようなものを求めること。


7月8日(木曜)

 自己や世界を多色のうごめきと捉える時代において高まる欲求は拡張変化欲求である。そして拡張変化欲求の到達点とは何か。
 それは、自己と世界のうごめきを実感することである。自らのうごめきをメタ認知できるようになることとも言える。うごめきが波及し波及され、うごめきから形を構築し形を手放し、その連綿たるうごめきの繰り返しの中でメタ認知できる視点を得る。うごめきを認知できるから美しさを求められるのだ。美しさとはバランス。自己のうごめきのバランスを調整するのだ。そして、最終的に美しいうごめきへと到達する。
 しかし美しいうごめきへ到達したからといってその形を維持させようとするのではない。それは終わりであって、また手放すのだ。
 そしてまた、拡張変化し、うごめきを認知するのだ。そこには意味は存在しない自然の動きに近い存在になること。究極は無色なのかもしれない。


7月9日(金曜)

 影響を与え、影響を与えられる。その相互関係が多色のうごめきを生み出し、拡張変化する。


7月10日(土曜)

 なぜ生命は存続しようとするのか?自然の流れを人がそう認識しているだけなのかもしれない。
 うごめきのメタ認知には、今のうごめきの外へ拡張することで見やすくなる。ならばエクストリームに拡張することだ。


7月11日(日曜)

 感情のインターフェイス問題。人はうごめくとき感情が刺激される、その刺激に対して判断せずただへこんだりただおもしろがって、将来の拡張のエネルギーにすればいいのだが、すぐに対象を判断して自分の世界の形を守ろうとしてしまう。形にするのは人の本能だ。それを手放すのは理性。感情のインターフェイスは本能へと結びつきそこから思考が生まれる。このインターフェイスの調整こそが多色のうごめきを美しくする。



振り返り

 ただへこむ。そして自己と向き合う。

 自分の見えている世界は色なのだ。





モヤもや

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