今週の出来事(1/2~1/8)
Random thoughts and head trip [Week. 148]
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今週の出来事を書いていきます。
今週の振り返り
リズム、リズム、リズーム。
1月2日(月曜)
覚悟が決まるとスッキリする。
焦りもない。
1月3日(火曜)
夕焼け。
まだ思考は進まない。
1月4日(水曜)
これほどまでに。
1月5日(木曜)
かかかか。
1月6日(金曜)
リズムとビート。
1月7日(土曜)
クラーゲスのリズム理論の解説を読む。
たぶん原文では理解できなかったから助かる。
理解とは精神的でビートなんだな。
リズムは身体的で類似なものの再帰。更新なのか。
音響的リズムは時間を、空間的リズムは運動を。
抗争と交わりを経てビートはリズムを鍛える。
そしてビートの解放がリズムを生み出す。
リズム的にみると個の存在はよく分からない。
個は精神的な作用によって現れる。
時間はビート、リズムは自然。
少し人間中心主義的な感じも否めないが、リズムの考察は何かヒントを得られそう。
1月8日(日曜)
リズムとは、類似のものの回帰、更新である。
拍子taktとは、同一のものの反復である。
リズムは無意識的自然的反復運動で、拍子は意識的人為的反復運動。
リズムは森羅万象に無数に存在している。
生物リズムや四大リズム(火水地風)など。
人の身体には無数のリズムがあり、大きく二つに分けられる。
一つは身の回りの環境の変化によって変化するリズム。
もう一つは、宇宙リズム(太陽系のリズム)に関わっているリズム。
リズムとは波のようなものである。
水の波形のようななめらかな更新である。
リズムには分節性と双極性がある。
分節性とは、波の連なりに存在する上下の湾曲点などの並びから節を見出して、観念的に分割されることである。
音楽を聞いてる時に拍を取ったりするのも分節の行為である。
この分節可能性によって、拍子をつける、タクトを揮うことができる。
双極性とは、波の連なりの中に、上や下、山や谷といった、量的ではなく質的に向かい合うものが連関していることである。
双極とは、存在が相互に依存しており、かつ同じになることはないもの。
時計の音を「チクタクチクタク」と二つの音が連なっているように聞くのも双極性。
人はそのように、対になるものとして分けずにはいられない性質を持っている。
分極可能性によって、さまざまな対比を見出しそのとりあわせを楽しむのはリズムの性質による。
そのようにして人が見出した拍子taktは、リズムの存在を顕にする。
タクトはリズムとぶつかったり協働したりする。
その中で、さまざまな種類のリズムが一致するような動きをする。
ハーモニーというやつか。
絡まり合いの中からうごめきを見出し、うごめきを自己と自己以外に分けることで人は存在を見出す。
この捉えどころのないうごめきというのは、リズムを見出すことで表現できるかもしれない。
リズムを見出すには拍子を見出すことから始まる。
リズムは拍子との協働によって鍛えられ、拍子にある精神的制約からの解放や感動により芸術的リズムが生まれる。
この芸術的リズムがうごめきを表す。
そんな気がする。