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今週の出来事(2/21~2/27)

Random thoughts and head trip [Week. 103]

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今週の出来事を書いていきます。


2月21日(月曜)

イメージと価値観、認知と情動、思考、そして行動。価値観の強化。イメージの変化。


2月22日(火曜)

アドレナリン強め。


2月23日(水曜)

機能と文化。ある機能が存在するということはそこには文化が存在するということ。それはどちらが先かは分からない。機能を導入するということは文化へ影響するということ。この文化への影響は表しづらく、なのでわかりやすい指標へと変換されがち。分かったふりをしたよく分からないもの。
分からないと分かるを繰り返す。それが喜びであるなら生きやすいのだろう。

インターネットは誰もが発信者になれる、というのが一つの特徴であるが、逆にいうと発信しなければ相手からは認知されない、ともいえる。自分が相手の発信を見るだけであれば自分にとってはそこに自分は存在しているのだが、相手からしたら自分はそこに存在していない(閲覧者のトラッキング機能がある場合は別として)。
そう考えるなら、インターネット空間上での存在論とはどういうものなのだろうか。双方向性がなければうごめきは発生しないのだろうか。そこには、イメージや価値観は存在している?インターネット空間での存在論を勉強してみたい。


2月24日(木曜)

価値観と価値観の間に、人と人の間に存在するイメージ。このイメージと価値観の交わりに認知があり、認知が情動を生む。情動は思考を規定し、行動が始まる。行動は価値観濃度に影響を与え強化する。このイメージは相互関係を認知できる距離である場合に存在する…?インターネット空間での一方向的な交わりしかない状態ではイメージが発生しない?イメージはうごめきの色であり、価値観はうごめきを動かす。
拡張が欲しい。


2月25日(金曜)

飲み込まれる


2月26日(土曜)

もしかしたら曖昧にする(境界をなくす)は、2種類存在しているのかもしれない。
一つはバラバラにしてまとまりをなくすこと。もう一つは、全てをまとめてしまい違いを相対的に認識できなくすること。
磁力は原子核周りの電子の回転運動によって発生する。それは回転運動が同方向に動く数が同じ場合は打ち消し合い、磁力は発生しない。回転運動が同方向の数が異なることで磁力は発生する。
また、磁極が明確に存在することで、吸着し合ったり反発し合ったりする。磁極がバラバラに存在する場合、それはただの鉄であり、それだけでは吸着も反発も発生しない。磁石が近づくことで、そのバラバラの磁区が破壊され磁極が決まり吸着するのだ。
この磁石の力や特性を発揮している時は明確さが存在して、吸着と反発を生み出す。しかし、電子の回転運動を全て同数にすると磁力を失い、明確さはなくなり曖昧へとなる。また、磁極がバラバラに向いていることで吸着や反発はせず、曖昧へとなる(明確が近くにきて影響されない限り)。
この2種類の曖昧さは、同じようで性質が異なる。エントロピーを増大させるか、0にするか。
曖昧さはそんな極端さから生まれてくるのかもしれない。昨今の曖昧さというのは、かつての明確さを追い続ける経済活動の反動として、ポジティブなイメージが少しずつ醸成されてきている。
だからこそ、曖昧さを分かることの重要性は高まってきているように思う。

ただ、その2種類の曖昧さが存在するとして、僕はどちらに向かっていけば良いのかは分からない。ただ、明確さとのバランスは何となく見えてきている感じはある。(言語化はできていないが)
感覚的にはエントロピーの増大と明確さのグラデーションでバランスを整えるのが美しくも心地よい気もする。その一方で、全てを一にするというのは感覚的に嫌な感じがする。それがなぜかは分からないが。


2月27日(日曜)

もしかしたら個である状態というのは、バラバラな集まりの状態のことではないか。個は個単体では成立できないのかも。
同じ価値観の循環での集まりは共同体のようなもので、個というよりも公。
方向は異なる循環での集まりはバラバラな集まり、この異なる個同士で集まっている状態が個を個として認識し、個として存在することができる。
このバラバラな集まりは何を持って集まりと認識するのかというと、共通の言葉、共通の空間、共通の物語が最低限揃っていれば集まりと定義できるのかもしれない。曖昧さには心地よさが宿る。完全に同じ循環で個の濃度を限りなくなくす集まりは全体の一としての曖昧さ。違いはない。二項対立を統合する概念。
最低限の集まりの要件のみ満たし個々にバラバラである、というのも曖昧。全部異なる。二項対立をバラバラにする概念。
争いをなくすには、二項対立的などちらかが正しい、という強さを持っている状態をいかに無力化することにあると思う。
では、無力化するには違いはない、と統合していくことなのか。完全に同じ方向の循環になる場合は磁力は無くなり無力化するだろう。しかし、完全に同じ方向の循環になるが完璧に成立しなかった場合、全体の一になるはずだったものは、より強力な磁力を持った二項対立を生む。
完全に同じ方向の循環になるとは、個をなくすことだ。個であることが摩擦を生むため、摩擦の根源にある個を無にしようということだろう。
しかし、個を失うことは人間は可能なのか?可能かどうかは別として、自分は個を失うことは嫌だ。自分のアイデンティティを別のレイヤーに置いて、いわゆる俗世では個のように振舞ってチート的に生きる、とかも嫌だ。関係性のうごめきの中でもがきながら、美しくも心地よいうごめきを探求したいし、拡張したり爆発したりしたい。
なので、個でありながらも二項対立的強さを無力化することを考える。それがそのまま自分の欲求を満たす術にもなりそうだし。
バラバラな集まりに多層的に存在することで、個の磁力を発揮するというのはどうだろうか。バラバラな集まりでは自分は個でありながらも、その曖昧な集まりによって心地よさもある。そしてそんな集まりを複数個、多層的に持つのだ。その重なりによって自己の中に複数の異なる循環が存在することとなり、これが自己のアイデンティティを支える。なので、二項対立的な強さがやってきても完全には取り込まれない。二項対立の強さは一つの循環の上での強さであり、平面的なのだ。なので、影響を受けつつも取り込まれない状態になる。これは取り込まれない強さとなり、二項対立の強さを打ち負かすというよりも無力化する強さだ。一面的に取り込んでも多層的にみると全く取り込めておらず、ただ多層的な異なるレイヤー同士の循環の中にいるだけになる。
バラバラな集まりであること、弱い文脈であることが多層的な重なりにより、まとまった集まりであること、強い文脈を無力化するのだ。弱い文脈でありながらも強い文脈に取り込まれない。これは弱から強への反転であり、爆発だ。
まあ具体的な社会実装の方法はわからないけど。ただ、自分はこうあろうと思う。


振り返り

思考を巡らせながらも体験観察し拡張し続ける。
無限との向き合い方が少しずつ見えてきた気がする。



もやもや




[今週のPodcast]


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