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今週の出来事(5/2~5/8)

Random thoughts and head trip [Week. 113]

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今週の出来事を書いていきます。

5月2日(月曜)

土台を作る。美しくも心地よいうごめきを描くというのは、文化づくりのようなものだ。


5月3日(火曜)

うごめきの可視化について可能性を感じてきた。やはりうごめきであると思考すると同時に観念的ではない領域、感覚的な領域でうごめきを感じ取れるようにすることは重要だ。観念的なうごめき、感覚的なうごめき、この両面に没頭していく。それが安らぎであり喜びなのだな。

5月4日(水曜)

美しくも心地よいうごめき、拡張体質的には、まず自分を曲げることから始まる。それはとても不快な行為でもある。今の自分の存在が揺らぐのだから。それは今の喪失に近く、恐怖を呼ぶし、自分の存在が揺らぐのは不安を呼び起こす。不快だからこそ影響を受ける。しかし、深くインプットする振る舞いをする、そういう役割を自らに付与することで、どこかで面白くなる。それは柔らかくなっている証拠であり、この自分が面白く感じている所以はよくわからない。が、柔らかさを得ることによって異なるうごめきに流れ込むのだ。そして、流れ込んだ先のうごめきは、異なるうごめきの特性を意識化され円環状の視点は外に向けられる。これが視点の変異である。それが影響を与えるということであり、その影響は一周回ってうごめきを変異させる。その変異により、流れ込んだうごめきに流れ込まれたうごめきが流れ込む。この相互作用により、それぞれのうごめきはお互いのうごめきの特性を意識化され視点の向きが外に向き視点が変異する。その影響によって相互にうごめきは変異していき、相互に流れ込み流れ込まれが同時に起き、そして共に回りだすのだ。それは争うことなく繁栄するあり方であり、美しくも心地よいうごめきなのだ。うごめきというレイヤー、意味の次元において世界を認識する場合、このような図が見えてくる。なので、まず自分を曲げることから始まる。今ある正しさは一つのうごめきの中で規定されたものにすぎない。それよりも美しさと心地よさを持ちながら争わずに繁栄する、その拡張することを第一においたあり方は快楽的なのだ。
快楽的経験は未来に期待を生み出す種になる。
共に回るエネルギーは、分からない、未知に対する感覚。恐怖や期待なのだ。そして、共に回る技術は快楽と共にやってきたりする。快楽は共に回る潤滑剤みたいなもの。
権力とは恐怖と快楽を同時にもたらす。恐怖と快楽を同時にもたらす存在は権力を持つ。不安と恍惚とかとも言えるかもしれない。エロとホラーは両立する。エロとホラーに人は集まり迎合し、大衆となる。大衆は権力に影響を与え出し、権力と大衆は共に回りだすのだ。(エロとホラーは信頼を生み出す?)そして、大衆はエロの体験をもとに未知に対して期待する。ホラーの体験をもとに未知に対して恐怖する。
この構造的なうごめきの循環に乗るのもいいし、新たな循環を流し込んでもいい。どちらにせよ、まずは自分を曲げることから始まる。
僕はコレクティブによって観念的な美しくも心地よいうごめきを表現し、ugomekiによって感覚的にうごめきを可視化する。


5月5日(木曜)

共に回るエネルギーは未知に対する感覚と定義し、それは恐怖と期待に分かれる。と定義したが、これらは二項対立にした時点でお互いに補完し合う両輪になったとも言える。どちらかだけでは成立せず、同時に存在しているのだ。
また、恐怖は今の喪失、不安は今の存在の揺らぎと考えているが、これにタイムリミット、時間の感覚と、身に迫る感覚を追加すると、焦りになる。これは恐怖がよりエクストリームな形で現れた状態だ。このエネルギーは凄まじくそれだけしか考えられなくなる。この焦りに対して、焦りからの解放というものを与える存在に人は集まり、そして従う。コントロール的なうごめきが生まれる。これが支配的な権力というものかもしれない。
期待のエクストリームは、あこがれだと思う。あこがれは、その人の今までの経験からくる強烈な期待であり欲求である。
どちらにせよ強力なエネルギーでうごめきは回り出す。その一方で、どちらにせよ固さが生まれていくのも事実。この固さをどうするかがうごめきの美しさや心地よさを決めると思う。つまり、この強いエネルギーを放つ固さを曲げて柔らかさを得て、争わずして繁栄する感覚。二項対立を超越する態度だ。どちらも強いエネルギーが固さをもたらし、それによってコントロールできると思い込みがちになるが、コントロールなどはできない。できるのは影響を与え、体験観察し、対応するのみだ。では、この強いエネルギーは何のためにあるのか?回り出すためにあるのだ。美しくも心地よく回り続けるのとは別の話である。このバランス、グラデーションを感じながら対応していくのが重要である。
あこがれはそのあこがれをありのまま出し、そこに共鳴する形で人は集まり回り出す。焦りは解放という媒介者によって期待へとつながり人は集まり回り出す。ただ、それだけなのだ。そこに循環はない。


5月6日(金曜)

焦りとは、恐怖に時間と身に迫る感覚を足すと現れる現象。


5月7日(土曜)

人は何かを消費し、何かを生成する。


5月8日(日曜)

恐怖にしても期待にしても、そこにはエネルギーが存在する。


振り返り

エネルギーはコントロールできない。しかし、影響を与え、観察し、対応することはできる。そこに行動が存在する。



【今週のPodcast】

今週はお休み。

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