見出し画像

今週の出来事(1/31~2/6)

Random thoughts and head trip [Week. 100]

前回はコチラ→


今週の出来事を書いていきます。


1月31日(月曜)

横断しまくる


2月1日(火曜)

体験するというのは距離がとても近くなる。
情動が強くなり、思考が加速する。


2月2日(水曜)

あばっばあば


2月3日(木曜)

悪い癖が出た。悪いと定義したのは自分の価値観。


2月4日(金曜)

多元的というのは一元的があるから存在している。
グローバル化というのは一に向かうことと言えるが、ではそれが一になった時、それは一として認知できるのか?
一ではない存在があるから一の存在を認知できる。
一へと向かうことは一へと向かわない。その一方で多も一の概念があるから認知できる。無限循環。


2月5日(土曜)

大体いろいろ思考を重ねたり対話をすると、無限循環に向かうのだが(無限増殖へのカウンターとして)、いかに無限と向き合うのか?が僕がさまざま表現する際に気にすることである。
終わりのデザインとか言ってるが、終わりをいかにデザインするか、完成とは終わりであり、作るという行為は自らの身体にある無限の思考を身体から引き離し終わらせることである。終わると始まる。また無限。
これが多元的にあると理解することが無限との向き合い方のように感じるが、ここは未だ言語化できていない。

「お金ではない価値」という言葉があるが、これをお金という概念を使わずに明確に説明できたことがない。大体言語化しようとすると、「心のかよった〜温もりのある〜うんたらかんた〜」みたいなチープな表現しか出てこない。
お金という価値軸のうえで二元論的に話している時点でお金ではない価値は明確に認識できない。お金の価値だろうがお金ではない価値であろうが、同じことしか言っていない。無限循環なのだ。ただ現代はお金の価値が無限増殖しているのが問題なだけで、お金ではない価値がそれをひっくり返す素晴らしいものではない。結局お金ではない価値をお金という概念を使わずにしっくりくる説明ができない時点で、僕らは一つの価値軸から抜け出せないでいる。別の価値軸は想像もできない、だからそれらが重なる時、多元的な世界になりえる。おそらく僕はそこを求めて拡張し続けているのかもしれない。それも無限循環。
多自然主義、技術多様性、宇宙技芸、一に向かわない概念がその思考を手助けしてくれる。まだまだ勉強せねば。そして何かを作って終わりを描く。


2月6日(日曜)

無限循環…表現するのが難しいな…


振り返り

問いだな。



もやもや


[今週のPodcast]


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?