見出し画像

今週の出来事(3/21~3/27)

Random thoughts and head trip [Week. 107]

前回はコチラ→


今週の出来事を書いていきます。


3月21日(月曜)

異なる個体でありながらもうごめきである。という世界の見方を得ることで、新たな死生観が見えてくるのではないか?という問いのもと、思考を重ねている。
異なる個体同士は、これは現実だよね、という合意形成を得られる虚無を仮に中心に置きながら、虚無のまわりを回り続ける。この回り続ける行為によって、ある種のトランス状態へとなり個の境界は溶けて自己の領域が曖昧になる。この円環の状態がうごめきという概念によって理解できれば、世界の見え方は変わるのではなかろうか。繰り返しになるが、僕らは「これは現実だよね」と合意形成をとれる虚無のまわりを回っている。共に回る行為によって、個の意識は溶け合い、僕らは現実を形成しているのだ。これがいいとか悪いとかではなく、そのように世界を理解してみる。
この円環が現実であるなら、円環を多層的に所有することで自己の異物性、個を確立する。多層的円環の交わりに自己は存在している。点であり、線であり、面でありながらも立体なのだ。
これが異なる個体でありながらもうごめきである。という世界観。
この理解のもと、僕は美しくも心地よいうごめきを意識するのだが、それは反復と偶然の差異によって生まれると考えている。
何よりも今必要なのは、このうごめきの理解を身体的に理解できるよう可視化することなのかもしれない。


3月22日(火)

アドレナリン優位


3月23日(水)

車の流れを見てふと思う。
優位性や立場のような力というのは、乗ってる箱や道でいとも簡単に入れ替わる。しかし、そこに実利が伴っている。
それはなぜか?
今の世の中は「期待感」で駆動しているんだな、と理解した。


3月24日(木)

廃材画材。


3月25日(金)

期待感と純粋な喜びは異なる?


3月26日(土)

インプット


3月27日(日)

期待感というのは、虚無のまわりを回る原動力なのかもしれない。
虚無とは価値であり、期待感の発生に影響する。
期待感は、視点と相対的比較、イメージによって現れる。そして、期待感と対象のインターフェイスには、イメージに訴えるインターフェイスと、異世界への扉が開いている異世界インターフェイスが存在する。異世界インターフェイスは、現状の世界からみるとくつろぎのようなものに存在する。
そして期待感の先には価値が存在する。アウラを纏った礼拝的価値の時代から、アウラを纏っていない展示的価値へ価値の重心が変化したように、価値は時代と共に変化する。そして価値は虚像であり、虚無なのだ。
虚無のまわりを共に回ることで、個々の境は曖昧になり、その民族的にも見えるトランス状態が現実を生み出す。現実は虚無のまわりに構成され、虚無は価値となる。
この円環はうごめきの一つであり、多層的なうごめきの交点に個が存在する。個は異質であり、異質である個同士のうごめきが世界でもある。うごめきの可視化、そしてうごめきという概念から見える世界観によってどのような現実が生まれるのか。それが気になって眠れない。


振り返り

人は集団の中での孤独を苦しく感じ、絶対的な孤独には心地よさを覚える。
これは人がうごめきであるから。その孤独は、うごめきの1レイヤーにすぎない。その他のうごめきの存在を認識したとき、絶対的な孤独が現れる。



もやもや。


【今週のPodcast】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?