俺とパソコン

ふと人様のテキストサイトを見ていたらたまには俺とパソコンの歴史を振り返ってみようという気持ちになったのでここに記す。

今回はちょっと気張って黒いネタも明け透けに語ってみたいと思う。20年経ってるし時効時効

初めてコンピューターを意識

それは小学校の科学読み物。本自体が古くそこに出ているスパコンはクレイの骨董品。

クレイの骨董品

それでもこんな世界があるのかぁと読み返した。

で、当然のごとくコンピューターが欲しくなるわけですよ。当然。当時手軽に手に入るコンピューターと言えばクッソ定番のPC9821シリーズ。そしてお高い。
とても小学生のおもちゃにはさせられない。しかし憧ればかりが募っていく。正直当時からプログラミングとかにはさほど興味が無く機械としての所有欲ばかり。それは今でもですね。

親父を説得

欲しい欲しい欲しい。欲求ばかりが溜まり親父に事あるごとにパソコン欲しいと言っていた。
親父もいい加減めんどくさがったのか12歳の誕生日に買ってやると明言。
折しも世間はWindows95発売。まだ日本語版は出ていなかったが、ニュース番組で取り上げられるほど。小難しいパソコンからみんなが使えるパソコンになるとの期待感からか世間はパソコンブーム夜明け前。
当時は意識してなかったけどIPが標準ドライバとなりインターネットという物にも簡単に繋がる。と、とても輝かしい物に見えた。

たぶん親父も簡単になるなら子供でもどうにかなるだろうって魂胆もあったのだろうとおもう。

明言から誕生日まで半年くらいあった気がする。その間に日本語版のWindows95も発売。今からは考えられないほどのパソコンブーム。新聞のチラシに入ってくるパソコンの売り出し記事を見てドキドキする毎日。今思い返すとなんと純粋な……
地域や企業主催のパソコン体験イベントなどでお茶を濁しながら12歳を待つ。当時のノベルティーで富士通のパソコンおじさんだったかな。の湯飲みはまだ棚に入ってる。あとバザールでござーるグッズもあったけどどこ行ったか思い出せない。なお当時アップルコンピュータから出てたパフォーマーシリーズはうんちだったので眼中に入らなかった。店頭で触ってるだけですぐ爆弾が出やがる……

誕生日当日………まで待てるわけ無く丁度誕生月の売り出し記事を突きつけて買いに行くことに。親父は仕事だったのでお袋と買いに行った。50万円を握りしめて(震え

当時秋葉原まで行くというという事は無く、すぐに物が欲しいという今と何他変わらないメンタル。立川にある秋葉原系のPCショップに向かう。店の名前は忘れた。南口の立川高校より手前にあったとおもう。誰か知ってたら教えて。

その頃最新のCPUはPentiumシリーズ。買ったPCはPC9821CT16。CPUは166MHz、搭載RAM16MB、HDD1.6GB。一太郎バンドル版だ。当時としてはハイエンド。ATOKとはこの頃からの付き合い。もうキー操作はATOK式以外考えられない。

ブラウン管とセットの製品で45万。プリンターも当時最新のエプソン初フル顔料の製品で5万円。の計50万。
いまこれくらいの子供がいてもおかしくない年齢だけど子供が50万円のPC欲しいって言われても多分無理。出せない。寝言かな?って聞き返すだろう。

俺とパソコンの本番に行くまえにプリンターについて話したい。
このプリンター後から知ったのだが紙送りがマジで糞。2~3枚同時に吸うことなんて日常。そしてインクも一体型で高い。プリンタヘッドも交換できない。(当時キヤノンはヘッドも自分で交換できた)ほめられるとしたら当時としては顔料だったくらい。あとは最新機だったのでカラー印刷は720dpiで出来た。まあどんな綺麗に出力できたところで紙送りがクソという基本のキがどうにもならないのでこれと言って積極的に使うことは無かった。
なお当時のイメージを未だに引き摺っていてエプソンは避ける。

ねんがんのぱそこんをてにいれた

家にPCが来た。一応家族共用って体だったけど両親は興味ないし弟もどうでもいい派。
なので事実上専用。最初はチープなアプリやクリックするだけの単純なゲームで遊んでピュアだった。ホントピュアだった(大切なことなので

中学生にもなると気づくんだ。こいつモデム標準搭載じゃん。当時子供部屋には電話線が来ていなかったのでしばらくはほったらかしにしていたし、大方のプロバイダにクレジットカードが必須だったためアンチクレジットカードだった親を説得する手立ては無かったが……

ドラえもんなんとかインターネットしたいよ~~

ダイヤルQ2(大山ドラえもんの声で

今は無き情報提供料を電話代と一緒に払えるダイヤルQ2。えっちな声を聴いたりするあれである。さらに前は偽造テレカでマネーロンダリング……

当時クレジットカードが無かった俺には神の手段である。オチは分かっているがとにかく神の手段である。

小遣いで電話線買ってきて自分の部屋まで敷設。ドキドキしながら繋ぐ。最初に表示したのはドラえもんの映画のPRページ。以外と覚えている物である。ピュアだなぁ……

ただしその後の電話代はピュアでは無かった。人生で初めての土下座であったがこれ以降割とカジュアルに土下座をするようになる。

そんなこんなありながら都度都度誕生日やお年玉というネタを利用してPCを強化していく。RAM増量、ZIPドライブ、CPU換装、HDD換装、CD-R搭載……
最後の方はケース収まらずケースカバーを外して利用していた。みんなソケット7の下駄なんてしらんでしょ。K7-IIIを乗せたのはいい思い出。
クロックアップするにもクリスタル交換とかした時代があったんですよ(発狂

インターネットを利用することにもこなれてきて広告が強制表示される無料プロバイダやSEGAのドリームキャスト向けに展開していた無料プロバイダなど乞食芸を決めながら利用していた。

この頃になると悪知恵も付いてきてエロ写真やエロ同人絵を漁るように。思春期だものね。仕方ないね。

極まってくると今はなきNNTPを利用して怪しげなデータを集めたり、インターネットのご時世に東京BBSに入り浸ったり……クソガキでしたねぇ

それをさらに悪化させたのがフレッツISDN。当時ネット接続と言えばテレホーダイって時代に燦然と現れた救世主である。繋ぎっぱなしは一部OCNの専用線くらいって時代にお手軽価格で定額接続が出来るとあって対象地域になってすぐ申し込んだ。
このとき親にフレッツに繋ぐにはこれが必要なんだとだまくらかしてヤマハのRTX52iを買ってもらう。お陰で今の今までネットワークには詳しくなったので俺は悪くない(キリッ

こうなると悪童っぷりに拍車がかかる。Photoshopはフリーソフト。WINRARは必須ソフト。パスワードクイズはどんどん上手くなる。
FTPサーバを立てるためにポート空けを覚えPCをつけっぱなしにする日々HDDはエロ動画、エロ写真、エロ絵で埋まり……

高校生とパソコン

そんなこんなで中学生から高校生になり人間関係も変わりPCの進化も今より早くあっという間に手の施しようが無い骨董品になる。一番のショックが友人からもらったアニメ動画が性能不足で再生がスムーズに出来なかった。
なおそのアニメはハンドメイドメイ。釘宮理恵が初めての主役級の役をもらった記念すべきアニメである。諸君覚えておくように。
愕然としたね。で、悪ガキは考えるわけさ。どうやったら新しく買ってもらえるか。なお、家業の資産扱いにしていたので減価償却は済んでない

壊した。

正確には壊れたことにした。で、親父にこれからの時代パソコン無いと困るよぉって泣きついた。マジクソ。

今考えると親父は子供との付き合いが苦手だったのかもしれない。割とぽんと金を出してくれた。30万。

30万円を握りしめて秋葉に買い物に行く高校生。狂気である。誰も止める者はいない。当時最速のthunderbirdのAthlonを買いNVIDIAのGFORTH2GTSのグラボ。HDDは80GBを2台(RAID0)

無敵である。しかしこれがなかなかくせ者で当時のマザーボードのBIOSとグラフィックカードの相性が悪くしばらくまともに動かないと言う自体に……



以後後編に続くかもしれない。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?