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2022年2月24日の開戦以来、ウクライナ戦争について分析した論考を書き続けいています。無料で読めます。価値があると思われたらカンパ・サポートしてください。
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2022年12月の記事一覧
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ウクライナ戦争を理解する歴史知識4 なぜプーチンはウクライナを 「ナチ」「ファシスト」と呼ぶのか 第二次世界大戦、ドイツ・ソ連戦争期 被害と加害の記憶をめぐり今も止まぬ論争 ウクライナ戦争に関する私見17 2022年12月6日現在
今回は第二次世界大戦時代のウクライナの話をする。 1941年6月22日、ナチス・ドイツがソ連に攻め込んだ。ドイツ側では「バルバロッサ作戦」という。 1939年にナチスがポーランドに侵攻して英仏が宣戦布告、第二次世界大戦が始まって2年が経っていた。 当時、ウクライナはソ連の「一地方自治体」になっていた。1922年にウクライナをソ連に併合する内戦は終結し「ソビエト・ウクライナ」になっていた。そこにナチス・ドイツが攻め込んできたのである(下の地図の赤いエリアがソ連。ポーランド