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ウクライナ戦争に関する私見 烏賀陽弘道

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2022年2月24日の開戦以来、ウクライナ戦争について分析した論考を書き続けいています。無料で読めます。価値があると思われたらカンパ・サポートしてください。
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2022年8月の記事一覧

ウクライナ戦争を理解する歴史知識3  大飢饉の次は大粛清=75万人犠牲     「富農」追放に続きポーランド系住民虐殺 ウクライナ・ベラルーシはその被害地         ウクライナ戦争に関する私見16   2022年8月24日現在

ウクライナの苦難は続く。 大飢饉が収束したと思ったら、今度はスターリンが「大粛清」(政治弾圧)を始めた。また百万人単位のソ連国民が犠牲になった。続いてナチス・ドイツがソ連に攻め込んできた。ウクライナは「殲滅戦」の戦場と化した。 まず今回はスターリンの「大粛清」について書く。 冒頭写真:ロシアのペルミ市(1940年〜57年はモロトフ市)郊外にある「ペルミ36」グラーグ(強制収容所)。現存するグラーグはロシアでここだけ。現在は博物館になっている。 私見だが、これはスターリ

ウクライナ戦争を理解する歴史知識2  第一次大戦で近隣強国すべて瓦解      ウクライナ初の独立国家樹立するも         ボルシェビキ・ポーランド・ドイツに潰され              ソ連統治下で死者500万人の大飢饉  ウクライナ戦争に関する私見15   2022年8月4日現在

第二回目の本稿は、20世紀に入ってからのウクライナの歴史を述べる。 まずは20世紀前半、第一次世界大戦とロシア革命から。 20世紀になってからのウクライナ史はテンポが早くなり、そして陰惨な出来事が連続で起きる。血なまぐさい。第一次世界大戦が始まった1914年から、第二次世界大戦が終わる1945年の31年間のウクライナは、数百万単位で人が死ぬ戦争、殺戮、破壊、飢餓の連続である。悲惨としか言いようがない。 (冒頭写真はロシア10月革命100周年を祝うモスクワの集会。2017