「徳」

 またまた仕事で「徳」について考える機会がありました。 

 徳とは、元々は中国・儒教の思想。簡単に言うと、「社会的に良いとされる人間の能力や気質」みたいな言葉で表すことが出来ます。そのため、「道徳」の授業とは社会的に良い道(行動や言動)であると考えられます。古代ギリシャでも「アレテー」という言葉で表されます。これはどちらかというと国家の統治を想定したもので、徳を善と設定することで秩序を守る考えかなと思われます。

 そのため徳があるとは、社会的に良いことができる、という行動面で捉えるのが分かりやすい。今日の研修で頭に浮かんだのは、「徳」を「成す」とはどういう人間かということでした。「徳を積む」という言葉はよく聞きます。これは、「良いことも悪いことも巡って自分に返ってくる」という仏教的な思想が根底にあると思われます。。極端に言えば、最終的には自分が幸せになるために徳を積もうという考えになります。これは、徳=得という現代における一種の資本主義的な考えにも繋がると思っています。

  では徳とはどうやって実践するべきなのか。という議論になりました。前回は「徳を積むように」生きると考えたのですが、「積む」のは具体的な行動です。「積む」のではなく「成す」。これはそれ自体を体現することです。そもそも徳という概念を言語化するのが難しいため、「一般的に徳とされるような行動をする」をゴールとするんのが分かりやすい。その方が動機付けがしやすく、はっきりと行動で示せばよいためです。では 「生き方」とはなんなんだろうなと考えています。世間一般的に良いとされる行動を実践して徳を積んでいる人は社会で幸せか?と言われると、そうじゃない時もあるような気がしています。だから「他者」を想定するのかなと。

 ただ単純に良い行動をして、最終的には自分のために「徳を積む」のではなく、「自分」と「他者」の関係性の中で、言語化ができない「徳」という概念を自分なりに考えて行動するものなのか、と思いました。

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