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日記:街は復活祭の準備で綺麗になるけど

やっと少し日差しがさした。2月が始まれば
イースターを迎える準備に追い風が吹く。

ショーウィンドウがイースター

イースターは復活祭のことだけど。
今年は3月31日。
主の復活をお祝いする。主イエスが処刑後3日目に甦られた日。この時期は水仙が咲く。だから水仙を見ると復活祭だなと思う。
人々は卵に色を塗ったり、装飾をして復活されたキリストをお迎えする。共に喜ぶために。
私のイースターの記憶はイタリアの北部に住み、幼い子供達と共にお祝いをした日。子供達は親や先生からプレゼントをもらう。(ちなみにイタリアではイースターは「パスクワ」と言う。)

昨日見つけたイースターの贈り物

この贈り物と水仙を見る時、ヨーロッパに春が来た、と、みんなはお祝いする。

だけど私は、若い頃頑張りすぎて空回りしていたせいで、泣きながら電車に乗った日を思い出してしまう。

日本に一時帰国して初めのイースターの頃に、胸騒ぎがしてどうも落ち着かない。

心は、「もうすぐパスクワ(イースター)なのに、私は子供達のために何もしていない…そうだ、孤児院に何かプレゼントをしよう。」

当時住んでいた大阪市内の孤児院を調べ電話をかけた。
「子供達は何人ですか?プレゼントは何が良いですか?」

喜ぶ顔が見たかった。子供達は全部で90人と言われ、寮長さんは、付け加えて、「あのー、ケーキはもう食べ飽きてるんで他のものでお願いします。」と。
デパートに行って、小さなクマの形のチョコレートが一箱に10個並べてあった包みを9パック買って電車を何回か乗り換えて向かった。綺麗な包装紙とリボンで可愛くしてもらい、子供たちに会いたくて、手渡したくて、心は弾んだけど、寮に近づくにつれて、今の私はこんなことしかできない、情けない、と思って涙が止まらなくなった。
それはきっとローマ・カトリック教会を中心にコミュニティがしっかりしている共同体で、幼い子供たちを心から愛したい、守りたいと、子供達の幼児期をイタリアで過ごした習慣が、強い母性愛を育んだのだろう。

(その後、数年経って私が人生の危機で「死のうと思った」から救ったのはマザーテレサの言葉が綴った本だった。その当時の京都河原町にあったカトリック教会で祈り、隣接する雑貨店で購入した本。)

無事にプレゼントを手渡し、涙で変な顔になっている私を慰めてくれた、あの小さな手、あのかわいい声、笑顔、全てが愛おしくてたまらない思い出の中にしまってある。

私にとってイースター(パスクワ)は世界の子どもたちが本当に大人たちから愛を受けていることを知って、幸せになってほしい気持ちの蘇る季節なのだ。

主の御名によりて

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