2020年5月15日 上江洲先生ミニ光話

この光話のビデオは公式ホームページhttp://uezu.net/blog/archives/10065からご覧いただけます。


はい、世界の兄弟姉妹たち、こんにちは。
今、新型コロナウイルスという今の状況で、自由に動くこともままならぬ今の現象の世界で、皆さんは一瞬一瞬、どのように顕現されていますか。

我々は肉体はこの状況に置かれていても、意識は無限です。意識は自在です。
肉体は山梨というこの限られた場所に置かれていても、意識は自由自在に無限に働かすことができることを知ってもらいたい。

私もたまにLさんとの研修センターの件でのミーティングがあるとき、皆さんのところを訪ねます。
で、この現象という世界でしっかりと各々仕事もこなしながら、また時間帯で、時間をつくって、「世界の皆さんが健康で幸せでありますように」。で、「世界が平和でありますように」という祈りを捧げているということを私はみせられました。
中国の方々は肉体はこのように縛られているようであっても、意識は常に無限に働かせています。

何十年も前から説いてきたように、そのような現象を生み出しているのは、つくりだしているのは、人間のうらみ、怒り、嫉妬、分離感という欲望から生み出された新型コロナウイルスであり、またさまざまな天変地異・天候異変であることを説いてきました。

4、5日前にニュースでこう説いている方がおりました。
「今、人間が分離して対立で戦い合う姿、で、傷つけ合う姿。ウイルスよりも怖い」という表現をされていました。
今、人類は、なぜ新型コロナウイルスという、そういう結果をつくりあげたんだろう?
どこから発生したんだろう?
どうすればそれから解放されることができるのか?
もうひとりひとりがしっかりと考える時期におかれています。

私が南米から沖縄に戻ってきた時、今の利己主義、自分さえよければいい。自分の家庭さえ守っていればいい。自分の国さえ豊かであればいい。
その利己主義から非利己主義。全体意識へ意識をひとりひとりが変生・変性、変わらぬかぎり、パンひとかけらのために親子が殺し合うときを迎えると私は説いてきました。

たとえ新型コロナウイルス、この現象が終わっても、また人間が目覚めぬかぎり、人間が人間同士で戦い、傷つけ合うことがあるかぎり、もっと力強くさまざまな現象が我々は見せつけられていくでしょう。

真理。真理を説けば、宗教かあるいは特別な(もの)と思う方が多いようです。
しかし真理というのは、書いて字のごとく「真(まこと)の理」と書きます。
真理、真の理は、すべてのすべてあってあるものが、愛 分かち合って生きることであって、共存・共栄・共生であって、何も特別なことを我々は学んでいることではありません。
ひとりひとりが全体のことを思い、全体の幸せを願い、そう生きることそのものが真理を学び、真理の顕現であることを理解してほしい。

私は宗教を学び、宗教家ではないけど、イエス・キリストが説いてくださった愛心。
お釈迦様が説いてくださった慈悲心も、全く私が説いているその表現と何も変わりはありません。

すべてのために生きる。
すべてを生かして生きる。

何も難しいことを学んでいるではありません。
全一体・一命一体・自他一体。
すべては一つの命に生かされ、すべては一つの体をもって生かされていることを理解しさえすれば、共存・共栄・共生も理解できることでしょう。

共存とは、共に存在し合う。
共栄とは、共に栄え合う。
共生とは、一つなる命を喜び生きることが、自他一体・全一体・一命一体の共存・共栄・共生ではないでしょうか。

それが、お釈迦様が説いた慈悲心、慈悲の心。
イエス・キリストが説いた愛の心、愛心であることを理解してほしい。
慈悲の慈の心とは、万象万物、あってあるもの、すべてが健康で幸せで、常に至福に満たされますように。
慈悲の悲の心とは、万象万物、すべてのすべてあってあるものの悩み、苦しみ、悲しみが除かれますように。

今の分離から全一体へと、で、利己主義から非利己主義へとの意識が変生・変性がないかぎり、今の状況は今後なおも、もっともっと厳しく我々は体験させられねばなりません。

もし、その真理、本質を「神」と説くならば、神は「私」という言葉を使い皆さんに顕現するならば、ただ二言。

私でありなさい。
私を生きよ。

それ以上、難しいこと、厳しさを皆さんに望んでいるではありません。
私でありなさい、とは、真理でありなさい。
私を生きよ、とは、真理を生きよ。
全一体・自他一体・全一体で、すべてのすべてあってあるものを幸せに、喜びに、平和に、という思いで一瞬一瞬、皆さんが顕現できるひとりひとりであってほしいと、本質・神は常に望んでおります。

神が計画されたこのアセンションという聖なる惑星への復活。
それは永遠にもう図面は誰も書き変えることも、変わることも、つくり変えることもできません。

ただ我々がそこに至るまで、助け合って、分かち合って、そこを歩んで到達するのか。
まだ、分離感、うらみ、怒り、嫉妬に燃えながら、こういうウイルスというその体験のなかから、さまざまな天変地異・天候異変、そういう状態をクリアしながら進みゆくのか。
で、選択は二つに一つ。
我々の意志次第。
あるいは我々の思い一つです。

ひとりひとりが全体の幸せに生きること。
全体の喜びのために生きることを徹底し、それを顕現していくならば、今のようなウイルスというさまざまな間違ったその現象のなかで我々は進みゆく必要もありません。

賢い者とは、決してこの現象世界での読み書き、計算に優れているから賢い者ではありません。
本当の賢さというならば、全一体として、ひとりひとりが全体のことを思い、全体を思いやり、いたわり、あまりこの新型コロナウイルスという厳しい体験、天変地異・天候異変という厳しい体験をせずに、このアセンションを迎えられるように進みゆくのを賢い者といいます。

我々は賢き生き方で、その地球アセンションという素晴らしい地球を迎えさせていきたいと願います。

創造された被造物には必ず、生まれがあれば死もあり、はじめあれば終わりもあり、つくられしものには必ず破壊もきます。

どんなに世界中で暴れまくっても、この新型コロナウイルスにも終わりがくるでしょう。
しかし我々は賢い者ならば、二度と再びこのような新型コロナウイルスのようなものをつくりゆかないように、ひとりひとりが努力していきたいと思います。

ありがとうございました。

                      2020年5月15日 山梨に於いて

            

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