2020 年4月27日 上江洲先生ミニ光話
この光話のビデオは公式ホームページ(http://uezu.net/blog/archives/9998)からご覧いただけます。
世界の兄弟姉妹、こんにちは。
久しぶりに研修センターの件でLさんとミーティングに来ました。
そこで、中国の方から質問を受けたことに答えてみたいと思います。
いつも夜中に寝ているときに「起きなさい」「起きよ」という声が聞こえると言います。
しかし世界の人間、ほとんど「起きよ」「起きなさい」という意味を知っている方々はおりません。
寝ているこの肉体が起きることが「起きよ」ではありません。
「起きよ」とは、我々の本質は命であって肉体ではありません。
どんなにあなた方が、何時間、何十時間、寝ている肉体を起こしたって、それは起きている姿ではありません。
肉体の我から命の我へ、本質の我を自覚することを「起きよ」という意味なんです。
肉体は一転生、人生行路を旅するための一時(いっとき)の乗船にしかすぎません。
肉体が我ではなく、我の本質は命として「真の我」であることを理解して生きること、あるいは表現していること、それを「起きよ」といいます。
たとえば、私が何時間、何十時間、肉体を横にして寝ているところを起こされても、それは起きた姿ではありません。
私の表現にすれば「我、肉体にあらず。我、命なり」。
命を自覚して生きてこそ、それが本当に起きた姿であり、起きるという意味なんです。
肉体に何が為し得ましょうか。
肉体は命から離れて、目あって見ることもできない。で、耳あって聞くこともしない。
この肉体という伝導体を使って、すべての御業を為しているのは「内在の命」であることを理解してほしい。
その命を、ある宗教からすれば「神」、ある宗教からすれば「仏」と説いていることであって、その本質そのものの意味はどう説いても変わりはありません。
今日の24時間、「我、肉体にあらず。我、命なり」の自覚で、一瞬一瞬、表現されているならば、皆さんは起きている状態、覚めている状態といわれます。
命から離れて肉体が何を為し得ましょう。
見ること、語ること、聞くこと、この伝導体を使って仕事をしているのは「命」であることを理解してほしい。
まあ、今回のウイルスの件で、肉体を去った脱ぎ捨てた兄弟姉妹、あるいは家族の方々に、私は決して、厳しく言うつもりではないけど、命が我であることを知っているならば、何ものにも我々は混乱することはありません。
命は、暑さ・寒さの影響を受けることがあるでしょうか。
命はこのあらわれの何ものに支配されることがあるでしょうか。
命は久遠にして常在、不滅にして実在であることを知ってほしい。
そのように、肉体があなた方ではなく、あなた方の本質、我の本質、すべての本質は命であることを知ってもらいたい。
その命という命は、誰彼の命、中国人の命、日本人の命、どこの人種の命、あるいは動物・鉱物・植物の命、命は無限にして一つしかありません。
人間が一つなる命を見失って、戦争で戦い、殺し合ったり、傷つけたり、傷つけ合ったり、あるいは奪い合ったり、その現象にさまざまなウイルスや、地震や津波があらわれくることを理解してほしい。
スタートは、この新型コロナウイルスというのは中国の武漢から発生したんだとか、どこそこと言われたでしょうけど、どこから発生したんだろう。
一体として、すべてと愛、分かち合うことのできぬ、その心からあらわれたことを知ってもらいたい。
いつも光話のなかでも話をさせてもらっています。
顕微鏡で見ることのできる新型コロナウイルスだっていつか終わりがあります。
私がいちばん恐れるのは、うらみ、怒り、嫉妬、分離感という、その心の中に潜むウイルスがいちばん怖いといいます。
生まれたものには死が訪れ、はじめあるものに終わりがあり、つくられしものには必ず破壊がくるでしょうけど、しかしその心に潜んでいるウイルスというのは、あなた方が自覚で、自らを変えることができぬかぎりは永遠に続きます。
世界の人間の心が美しくあれば、すべてをいたわり、思いやり、美しく生きることができるならば、この現象という結果の世界も美しくあらわれます。
必要なだけ太陽が光を注ぎ、必要なだけ風がそよぎ、あるいは雨をもたらし……、
しかし今の世界はどうでしょうか?
必要以上に津波や地震や台風やさまざまな現象で荒れ狂っています。
決してこの地球がこの自然が勝手にそうしているのではありません。
どうしてこういう現象が起こるんだろう? とそう質問する方々はいます。しかしそれを理解しようとする方々は少ないです。
で、科学も医学も、どうすればこうすれば、これから解除することができるか、と論じますけど、あらわれも一つから。それを解決する策も一つ。
美しい心からそういう現象があらわれるはずはありません。
皆さんに「醜い」という言葉を使うというならば、うらみや怒りや嫉妬や分離感に燃えて生きている人間の心を醜いといいます。
すべてを愛し、すべてをいたわり思いやり生きる心を「幸いなる心」といいます。幸いなる心からこういう現象をつくり上げることはありません。
もし我々の醜い心が新型コロナウイルスをつくり上げ、地震、津波を引き起こしているならば、ひとりひとりの心を美しく磨き上げて、美しくその肉体という表現体を使って、顕現したときに、すべてそこに解決する答えはみつかることでしょう。
それは肉体が自分であるという傲慢さ。
肉体が自分であるという錯覚から引き起こされてきます。
命にはあなたの命、私の命、誰彼の命はありません。
無限にして唯一の命をもってすべては生かされていることが理解できるならば、
すべてのすべてあってあるものにおいて、我々は謙虚な心をもつことができるでしょう。
永遠の命こそがあなた方です。
永遠の命こそが私です。
ということは、永遠の命のなかには私もあなた方もありません。
一つなる私。一つなるあなた方が、命一体のなかに、今、生かされていることであって、分離した私、分離したあなた・あなた方はどこにも存在しません。
人類が人種差別をなくし、国と国との対立、争いをなくし、すべてのすべてがわが兄弟として手を取り合って、愛、分かち合って生きることにおいて……。
私は決して宗教を学び、宗教家ではありません。世界にあるさまざまな宗教といわれるけど、私は宗教なるものは一点も学んだことはありません。しかし宗教で説いている神こそが命であり、仏こそが命だと私は自ら答えを引き出すことができました。
その宗教を真実に知っているならば、戦い、争うことがあるでしょうか。
一つなる命が、すべてのすべてあってあるものに生きる智慧として、愛として、力としてあるならば、あなた方がそのものであることを理解していくことができるでしょう。
肉体を超越してください。
肉体は一転生、人生行路を旅するための一時(いっとき)の乗船。
兄弟姉妹をいたわるために、思いやるために、この肉体という表現体がここに今あることを理解してほしい。
私、私というけど、その「私」とは何者なんだろう。
あなた、あなた方というけど、その「あなた」「あなた方」とは何者なんだろう。
それは命のまとっているこの仮の姿・肉体をもって、私、あなた、あなた方と表現しているでしょうけど、真の私、真のあなた、あなた方とは、不死不滅、永遠の本質・命であることを知ってほしい。
我、肉体にあらず。我、命なり。
あなた方も「肉体にあらず、命なり」という自覚をもって生きたときに、
これが本当に目覚めた姿であり、起きている姿なんです。
肉体を持って、24時間バタバタ動いていても、命が自覚されていなければ、その者は寝ているにしかすぎません。
「寝ている者よ、起きよ」という意味は、睡眠に入っているこの肉体を起こすことが「起きろ」という意味ではありません。
命という本質に目覚めよ。
命という本質をもって起きよ。
それが本当に起きている姿。本当の覚めた姿であることを理解してほしい。
肉体自らは生きておりません。
すべてのすべてあってあるもの……私が「すべて」と表現するときは、宇宙であり、地球であり、人間、動物、鉱物、植物、微生物、それを「すべて」と私は説きます。
そのすべてのなかに、一物だって、命から離れて存在することができるでしょうか。
存在の本質が原因といいます。その原因が命であることを理解してもらいたい。
原因である命に生かされし者であって、結果はすべてその本質・命を受けて、ここに存在していることを知ってほしい。
また機会あるとき、皆さんに伝えていきたいと思います。
ありがとうございました。
2020年4月27日 山梨に於いて
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