2020年5月24日 上江洲先生ミニ光話

この光話のビデオは公式ホームページhttp://uezu.net/blog/archives/10070からご覧いただけます。


はい。世界の兄弟姉妹、こんにちは。
いつも説いているように、真理は我を自由ならしめん。真理はすべてを自由ならしめん、と説いているように、この新型コロナウイルスにおいて多くの方々からメールや手紙をいただきました。
おそらくこの何年、何十年、真理に触れ、真理を学んでいなかったならば、今の現象の世界でもう自殺をしたかもしれない。また今の厳しさを乗り越えることができなかったと思う、という内容の手紙やメールや電話をいただきました。

何十年前に説いた体験があります。
我々は容易い平坦な道を進んでいるかぎり、歩んでいるかぎり、その真理の大切さを知る者はいません。
このような厳しい道にぶつかってこそ、己が見えること。
そのとき説きました。いつか「真理を学んでいて良かった」という時がくるだろうと。
「まさにその通りでした」という内容の手紙、メール、電話をいっぱいいただきました。

我々の道は、利己主義で自分さえ良ければいい。自分の家庭さえ良ければいい。自分の国さえ豊かであればいいではなく、世界のすべての幸せを願える、で、平和を願えるひとりひとりであってほしい、それが真理の道です。

殺して生きよう。自分さえ良ければいい。自分の家庭さえ守っていればいい。自分の国さえ豊かであればいい。利己主義に幸せを、真実の幸せをつかんだ人間は世界に一人もいません。
苦しいときもともに分かち合い、喜びもともに分かち合い、ともに一体として真理という道を歩みゆく者に、真実の幸せが訪れきます。

殺して生きようは、必ず自分が滅びます。
生かして生きようが、必ずや成功に至ります。

iPadでたまに『日本昔話』というのが好きで見ます。
もうその日本昔話が大好きで、つい最近見た内容は、ある一人息子のお母さんが盲目、目が見えない方です。で、お母さんの目を癒してあげたい。見えない目を見えるようにしてあげたいの息子の思いに、ちょうどその息子が夜中寝ているときに夢をみました。
本来、神は無形・無双で、命そのものとしてカタチは見えることではないけど、神をたとえて夢でみせられました。
「あなたの親を思う心に感動し、それを癒してあげたい。どこそこの山奥を訪ねていってほしい。そこに目覚めた聖人が住んでいるから、相談に乗ってくれるだろう。あなたのその思いを解決してくれるだろう。訪ねていけ」と言われたとき、そこに訪ねていこうとする(途中)最初に出会ったのが、ある金持ちの娘がもう死ぬか生きるかの病いに罹っている、それをどうにかしてほしい。もしその聖人に会うならば、癒す方法を教わってきてほしい、という願い。で、また進み行きました。山に向かって。

次に出会った方が「あなたはどこに行くのか」と。
「夜中に神があらわれ、お母さんの見えない目を癒す方法を学びに聖人に会いに行くんだ」と言われたとき「じゃあ、私はこのミカンを何十年も栽培している者だけど、そのミカンが3年も一つも実もつけない木があって、どうすれば実がなる方法があるのか、それを聖人に尋ねてきてほしい」とお願いされました。

次に出会ったのがヘビなんです。
「海に10年、川に10年、沼に10年修行をしたけど、まだ天に昇ることができない。その天に昇る方法をその聖人に教わってきてほしい」とお願いされて進み行きます。

とうとう山奥に住む聖人と出会ったときに、その聖人から言われました。その聖人はすべてのすべてを見通していますから、「私に対する質問は三つまでしか受けることはできない」と言われます。

金持ちの娘の病気の相談、で、また農家のミカンの実をつけることのないその相談。またヘビからの相談。で、本人合わせれば4名なんです。四つの質問なんです、お母さんの目を癒したいの。

さあ、その方は、三つしか質問はできない。どう答えていくんだろう?
心の中で叫んでいます。
「お母さん、ごめんなさい。申し訳ありません」。
あの金持ちの娘の病気を癒してあげたい。次にあの農家の何年も実をつけることのないミカンの木をどうにかしてあげたい。で、ヘビを天に帰してあげたい。
その三つの質問でお母さんの質問ができないことを「申し訳ありません」と心の中で叫んでいます。

そのお願いされた三つの質問に聖人の方がすべて答えて、すべて解決してくださいました。しかし、お母さんの目を癒す方法を教わることなく帰りました。
「お母さん、申し訳ありませんでした。こういうことで三つのお願いしかできず、お母さんの目の癒す方法を教わることができなくて申し訳ありません。もういつかまたチャンスがあるときにやってあげたい」という思いで、お母さんにその気持ちを訴えました。

しかし、その三つの答えは、この肉体という衣装をまとった目覚めた方によって答えられましたけど、お母さんが「あなたのこの優しい気持ち、己よりも相手を思うその心。それが私は嬉しいんだ。それが私にとって宝なんだ。私の目はどうでもいい」と思った瞬間、無形・無双である本質なる神によって癒されたこと。

だから、いつも光話のなかでも説いてきました。
武器を持って戦わぬ己ならば、常に無形・無双である根源なる神によって護られるんだ、と私は答え続けてきました。
我々は、己を犠牲にしても、常に兄弟姉妹を思う心を失ってはなりません。

昔話というのは単なるつくり事のようにおかれているけれど、誰もそう思っているけど、その奥深い真理という面を説いて教えているんです。
今の子どもたちが、ただ学校で読み書き、計算に優れればいいという教育ではなく、何よりも誰よりもまず相手を思い、相手を生かすその思い。そういう教育を本当にもってきてほしいと私は願います。

すべてを生かそうとするその心、その思いが、己を生かすことなんです。
殺して生きようの時代はもうとうに過ぎ去りました。
生かして生きよう。それが全一体ではないでしょうか。

我、命なり。あなた方も命なり。
あなた方の命、我の命は、すべての命。
ならば、すべては一つであるにすぎません。
この宇宙に、一命一体・自他一体・全一体というなかに、分離しているものなんて存在しえません。
ひとりひとりが、すべてが同じ一つなる命を受けて、ここに生かされていることを知ってほしい。
命ほかに実在したものはありません。
この現象という結果の世界で、ただ表現の違い、ただ進みの違いはあっても、本質にして何の変りもありません。
ゆえに、3(月)、4(月)、5(月)と、ともにここに何十名がいたって、一人だって調子を悪くしたことのない美しい皆さんひとりひとりをみせていただいたことを、私は心から感謝しています。

これからも我々は、誰彼がどうこうではなく、己自身をしっかりと磨き上げて、苦しみ生きる兄弟姉妹へ手を差し伸べていけるひとりひとりでありますように、と私は願います。

ありがとうございました。 

                                                                                    2020年5月24日 山梨に於いて


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