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ドラマ「モアザンワーズ/More Than Words」 ー言葉にならないあの日々ー

これはドラマ、モアザンワーズを観て魂を持っていかれた私が、言葉に出来なかった思いをゆっくり噛み砕きながら、書くことで心を落ちつかせた、そんな記録です。


最初に読んだのは、IN THE APARTMENT の方だった。
小学校の同級生だった朝人とマッキーの出会い。フワフワして掴みどころが無いマッキーの過去が明かされると、衝撃過ぎて、なんて突飛なって一緒になって声に出したほど。でものちに再会した3人の別れ際の態度は、あれ?もしかして相手側からしたら思ってたほど重い過去でも無かったのかなと思える程あっさりしてて、正直モヤっとしたまま読み終えた。


その次に読んだのが、原作モアザンワーズ。
そこで見えてきた3人の過去。英慈と美枝子とマッキーの過ごした時間は想像してたよりずっと濃くて、彼らの決断は怖くなるほど幼くて、だからこそ必死さが伝わってきて、幸せになるためにした事だったはずなのに、それがどうしようも無く静かに壊れていくさまは、ただただ読んでて辛かった。

この3人のバランスが崩れた原因は色々とあるけれど、大きかったのは英慈の父性の目覚めと心変わりだったように思う。ここでの心境をIN THE APARTMENT (以後インザ〜)の方でマッキーは明かしてるし、ドラマの方でも描写がある。
最初病院に行った日、2人付き添いで行った待合室で呼ばれたのは1人。ここで父親らしい身なりの英慈が行く。1人ポツンと残されたマッキーの視線の先には幸せそうな夫婦と赤ちゃん。この時点で彼は正しい家族の在り方、結局1人しか父親になれないって事を考え始めたのではと思う。そして英慈もこの時見たエコーに映る胎児の姿に父性が目覚め出していく。
元々英慈とマッキーの子を美枝子が産んで3人でってはずだったのに、マッキーが感じ始める疎外感。そしてそこに美枝子と籍を入れると言い出す英慈。子供も産めない、家族にもなれないマッキーからしたら、英慈の気持ちだけが拠り所だったはずなのに、英慈はそんなマッキーの不安を汲んであげれず何かと美枝子を優先する。そんなマッキーの孤独に気付いた美枝子はお腹の子をマッキーの子だと嘘をつく。小さな檻の中の3人だけの世界で少しずつ歪んでいく関係。結局2人の心変わりと嘘に裏切られたと感じたマッキーは、居場所を失い逃げ出してしまう。

私が最初にモヤっとした感情が、なんでここで英慈はマッキーを追いかけなかったのかってとこである。
後に英慈はマッキーの疎外感に気付いていたという。でも向き合わず、追いかけなかった。ここで追いかけて話し合ってたら、もし子供がマッキーの子だったら、3人でいられた未来はあったのだろうか。英慈はこの時まだマッキーとの事は終わってないとも言う(原作の方で)。じゃぁ何故動けなかったの?と英慈を責めたくもなる。
原作でもドラマでも英慈の心情ははっきりとは明かされない。英慈が美枝子を優先させたのは優しさや情だったのだろう。でも多分、なんとなくだけど、潜在意識の奥底にあったゲイである自分への嫌悪感や劣等感が、産まれてくる子と美枝子を愛おしく思い始めた事によって、自分が家族や社会に対して胸を張れる真っ当な人間になれるのではと感じ始めたのではないだろうか。そして夫婦にも家族にもなれないマッキーの存在を位置付ける事が出来なくなってきたのでは。
マッキーがかつて言った、「英慈こんなんじゃないぞ」という台詞。ゲイの自分を「こんな」と卑下するのを肯定してくれたマッキー。再会後にこの言葉を思い出して涙したのは、本当の自分を愛せなかったって事、そしてそれ故にマッキーをも受け止める事が出来なかったって事なのかと思ったりもした。まぁここはただの私の憶測でしかないけれど。

やがて産まれた子供、子供を挟んで幸せそうな2人、英慈は美枝子に好きだと言う。ゲイでも女の子を好きになると。ここからインザ〜で3人が再会するまで4、5年、この時の家族愛のような好きが多分本当の好きになったんだろうと思う。つまり英慈はマッキーとの関係に終止符を付けず、美枝子と新たな関係を築いていた事になる。
私は当初この事実がどうしても受け入れられなかった。
英慈の好きが家族愛、絆、人間としてなら分かる。現に3人でいる時も英慈は美枝子の事を人として好きだったと思うし。ただ私は英慈にはちゃんとマッキーを探し出して話し合って欲しかったし、ちゃんと2人の関係にピリオドを打ってから美枝子と始まって欲しかった。
美枝子が言ったここまでの突飛な案に、藁にもすがる思いで乗った2人の愛はもっと特別なものだったと勝手に思ってた自分がいて、英慈の一連の言動に、なーんだやっぱり父親が示唆してた通り一過性のものだったんだね、ってまた勝手にガッカリした。

最初にも少し触れたけど、インザ〜で再会の別れ際、「仮面夫婦じゃなくて今はちゃんと好き合うとるわけ?」って聞くマッキーに、「当たり前やん!!」って2人揃えて声を大にしてるシーン。
モアザン〜を読んでからだと、特にここでの2人の明るくあっさりとした態度が幸せな今を象徴してるようで、あの太陽のように無邪気に笑ってたマッキーの空虚な4年間との対比を見て、ただただマッキーが悲しくて可哀想だった。


そんなどんよりと曇った私の心に差し込んだ柔らかな木洩れ日、それが最後に観たモアザンワーズのドラマである。ここでは原作には描かれなかった3人の心情が実に上手く表現されていた。

英慈は優しい、そしてそれ故に流されやすい。
父の会社に入る事を打ち明ける英慈。自分のやりたい事(染物)より、周りから求められてる事を選ぶ。この英慈の主体性の無い考えがのちに本当に大事なものを見失うことになる。
マッキーは英慈のお父さんから昔ゲイの友達が障害が出るくらいリンチをされた過去を聞かされる。そしてその話から二人の仲を認めてもらうのは時間が解決する問題では無いことを悟る。原作でもドラマでもマッキーの家庭環境は放任ってぐらいしか語られなかったけど、そういう話が出なかったってこと自体が親と希薄な関係だったのではと推測できる。
そんなマッキーだからこそ仲が良い英慈の家族は眩しく見えて、彼らの幸せを願うあまり思い悩む。そして英慈に必要なのは「女と子供」なんだ、男の俺ではどうする事もできないんだと思い込む。でもその絶望、翳りに気付くのは英慈ではなく美枝子。英慈は優しいけどいつもマッキーの痛み苦しみに気付けない。

その夜フラッと帰ってきたマッキーは女を好きになった事があるかと英慈に聞く。ゲイである英慈がもし過去に女を好きになった事があるのならこれからもその可能性はある訳で、可能性があるのなら親父さんが求める未来はあるのかもしれない。
この時英慈は、実はマッキーが初めて好きになった人と告白する。
初めての恋愛、多分英慈が初めて自分で望み手を伸ばして掴んだ人。
この言葉を聞いて照れるマッキー、そんな彼らを見ながらこの2人がずっと一緒にいられますようにと願う美枝子。多分3人でいて一番幸せそうで一番残酷だった瞬間。
この時撮った写真、英慈と美枝子はピースサイン、2本の指を立ててるのに対してマッキーだけ1本の指。もしこの演出に意味があるのなら、もうこの時から2人と1人、道が別れてく事が暗示されてたのかなと考えると切ない……


美枝子は多分アセクシャルとして描かれてるではないかと思う。
当初英慈とマッキーと3人でつるんでたのが、2人が付き合うようになったある日ベッド横のゴミ箱で2人の愛の結晶を見つける。そこには入っていけないと感じる一抹の寂しさ、と同時に欲しかったものが見つかったと感じる美枝子。多分それは愛する2人への純粋な羨望。自分が持つことが出来ないもの。
だから英慈の父が子供が出来ないことを理由に彼らに別れて欲しいと言った時、自分が2人の子を産むって考えが浮かんだのではと思う。
入り込めなかった性の部分、でも子供を産める性、女である意味がそこにある。
私は2人が美枝子の突飛な考えに反対出来なかった事の一つに、美枝子自身も産むことで自分の生きる意義を見つけ出そうとしていると感じたからではないかと考える。少し冷静になって考えたら余りにも幼稚で浅はかな考えだと気付きそうだけど、誰も止める事ができなかったのはそれほどまでに美枝子の決意が強く、反対する事は同時に美枝子自身を否定するように思えたからではないだろうか。そして3人だけの小さな世界で、何か熱に魘されるように、きっと上手くいくと信じて突っ走ってしまった風に見える。


ドラマでは再会した喫茶店での会話の描写があった。
最初に謝ったのは英慈。彼の口にしたごめんは残酷だ。でもこれはやっと言えた彼なりの別れ話だったのかもしれない。マッキーが言うごめんは3人で起こした問題から逃げたこと、そして自分の弱さに対して。
別れ際に車の鍵を探す英慈を叱る美枝子のやりとりを見ながら、もう前のようにそっち側に自分はいないんだと感じる。夫婦になった2人に向けて悲しく笑いながら搾り出す台詞が切ない。
ここではインザ〜の時のような軽口の2人はいなかったし、実際こっちの方がしっくりときた。

再会後アパートで1人、マッキーの座ってた椅子、お揃いのマグカップ、マッキーが居た空間を懐かしそうに思い出しながらあの頃の写真に目をやる英慈。そこからいつの間にか増えた子供の写真を目で追いながら、以前マッキーにプレゼントした羽織をそっと取り出し抱きしめる。あの頃のマッキーが自分を呼ぶ声が聞こえ、そこに微かに漂うマッキーの残り香に顔を埋め嗚咽を上げながら涙する。
父親の言う通り仕事も家庭も子供も全部手に入れて、あれだけ望んだ普通を手に入れた。でもそこに自分が一番大事にしてたもの、大切にしたかったものが無い。染め物の職人に相談した時言われた言葉、「それを抱えて生きていくしかない」。これはあの日々の英慈の懺悔、後悔、喪失、そして初めての恋への決別……そういう涙なんだと思った。


私はインザ〜での再会後の3人や、最後朝人含め4人で交流持ってる関係は正直あまり見たくなかった。
この3人にはあの喫茶店での再会が始まりで終わりの場で、2人と1人別々の道を歩いてくラストであって欲しかった。
会えるってことは英慈にとってマッキーがただの過去になったって事だと思う。英慈は当初ゲイ設定だったけど(美枝子もアセクシャル設定?)、結局美枝子を好きなることができてマッキーへの気持ちは無くなったのかもしれない。
でもドラマでのあの涙のように、心の奥底にあの頃のマッキーが永遠に失った宝物のように棲み続けていて、それを心の拠り所として生きていくってラストであって欲しかった。


インザ〜でマッキーは朝人に出会う。朝人は英慈と違いマッキーの繊細な部分を察知することが出来る。人を信じることに怯え、新たな恋に踏み込む事に躊躇するそんなマッキーに「いとしい」って言う朝人。朝人はマッキーを包み込むように優しく抱きしめる。ここで私は英慈がマッキーをこんな風に抱きしめた描写が無かったことに気づく。後に英慈が抱きしめる事が出来たのは羽織、思い出の中のマッキーだ。
私は願わずにいられない。朝人とマッキー、この2人がこれから先支え合いながらお互いを帰る場所に出来る関係でありますようにと。


モアザンワーズの原作の方の表紙にも少し言及したい。
1巻での3人は向かいあって笑い合ってる。でも2巻の3人は同じ未来(右)に向かって歩いているものの、マッキーは虚な目で空を見上げている。過去(左)はキラキラと眩しくて、何か忘れ物でも探してるように振り向いている英慈、そして美枝子だけが今(正面)を見つめている。これがあの日々の彼らの選んだ道って事なのだろうか…..


最後に、マッキー役の青木柚さん、もう存在自体がマッキーそのものでした。他出演者皆さんも素晴らしい演技で、独特で贅沢な間の取り方とか、しっとりしてるようでザラっとした質感の映像、ドラマに深みを与える選曲、演出、そしてエンドロールのあり方まで全てが完璧で、久々に上質なドラマを堪能させて頂きました。お陰様でここ数日心が持って行かれて魂が抜け落ちたようになってました笑。


はぁ〜……ぐちゃぐちゃだった胸の内を書き殴って少しだけ落ち着いてきたかな。
多分私はこれから先もこの作品を引き摺っていくんだと思う。だってモアザンワーズ、言葉にならない思いがまだここにあるから…..



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