犬と暮らすということ④
絶望の時間が続いた数日後。その日は朝、母に大きな声で起こされました。
「もえ(愛犬の名前)が、もえが、」
僕は飛び起き、急いで愛犬のもとに向かいます。見ると、戻そうと苦しそうにしていました。
吐き出すのかと思ったその時、急に脱力した様子になったんですね。顔を見ると、目の焦点が合っていない。
「まさか、息を引き取ってしまったのか?」いくら呼びかけても、身体を揺すっても、いっさい反応がない。けど、この期に及んで、動物病院に電話。(診察開始時間前にも関わらず)先生に状況を伝えます。
悟りました。
「この子は亡くなってしまった。」
別れのとき
その日は午後から、動物病院の獣医師・看護師の方々が自宅まで来てくれました。
お花まで持って来てくださり、
「ああ、やっぱりダメなのか。。」と
と同時に、
「この先生方は、こんな辛い場面を幾度となく乗り越えてるんだろうな」と考えている自分もいました。先生はもちろん冷たい対応ではなく、暖かみのある対応です。感情的にならず、冷静。
3月下旬くらいから弱ってしまい、亡くなったのは5月上旬でした。
1ヶ月弱の闘病。享年8歳(厳密には約8歳11ヶ月)。
改めて目をきれいに閉じてあげ、身体もきれいに拭いてあげました。
その日の夜は愛犬の手を握りしめて眠ったのを覚えています。けど、あまり寝れなかったな。最後の夜だもの。
翌日、ペット霊園に行きました。最後のお別れです。斎場にもえちゃんが入って行きます。もう戻りません。
待合室でこれ以上ないくらい泣きました。パソコンでこの文章を書いてる今も泣きそうです。。
心が空っぽだ。
だんだん、ポエムっぽくなってないか心配です。まあポエムでもいいか。
もえちゃんが亡くなってからは、「何か物足りない」日々が続きました。自宅にいるのは、姿ある愛犬ではなく、白い骨になってしまった愛犬です。
病気で苦しむ愛犬を見ているときは、苦しみを取ってあげられない自分に嫌気がさしていました。しかし、その愛犬がいない今「苦しむ姿を見なくていい」ということでは楽になった。
ただその反面、その後数ヶ月にわたり、それ以上の苦しみに襲われることに。
いわゆる「ペットロス」です。
以前とおなじくらいの感情にもどるまで、僕は約半年くらいかかりました。
日常生活が出来ないレベルではなかったんですが、気持ちが乱高下することが増えていましたね。夜、勝手に涙が出てくることもあったなあ。
今まで楽しめていたことに感情が動かない。心ここにあらずです。
その時初めて出てきた感情がありました。後にも先にもその時だけなのですが。
それは、「僕が死んだら、もえちゃんのところに行けるかな??」っていうものです。それまでの人生では、どんなに辛いことがあっても、落ち込んでも、自殺なんて発想は絶対でてこなかったんですけど。だいぶ頭がおかしくなっていたんでしょうね。
同時に、「諸行無常」を身を持って理解できました。
あたりまえは続くことはありません。あたりまえではなく奇跡です。
僕のペットロスは、幸いにもまだ軽症?のレベルだったと思います。なので時間が解決してくれたんじゃないかな。物理的な痛みも苦しいけど、メンタルを壊されることも相当なものです。
動物の死がこんなにつらいなんて、犬と暮らすまでは想像できませんでした。
今でも命日にはペット霊園にお参りにいってます。大好物だったりんごを持って。
はじめは、行くたびに辛い思い出がよみがえってきたけど、もう大丈夫。
犬と暮らすということ⑤につづく