大王は哲学者?

歴史上の偉人は最後に素晴らしい言葉を残す方が多いです。

例えば

上杉謙信「四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒」

「四十九年の人生は、つかの間の夢のようなものであった。華やかな時は、一盃の酒と同じで目が覚めると儚いものであった」という意味です。

豊臣秀吉「露と落ち、露と消えにし、我が身かな浪速のことも夢のまた夢」

「夢の中で夢を見ているかのような、なんとも儚い生涯だった」     という意味です。

どれも過ぎてしまえばあっという間の人生という事でしょうか!?私が中でも一番むむっ!?と思ったのがアレキサンダー大王の残した言葉です。

「世界で足りなかった私が最後はこの棺桶1つでこと足りるのか?」

「私の亡骸は両手を広げて埋葬せよ、巨万の財と権力を持つ私は何一つ持って行けずに亡くなるのだ」

何とも教訓じみた言葉でアレキサンドロスはどちらかと言うと私たちにメッセージを残したように感じますよね。形あるものは持っていけないのは周知の事実と言いますか、じゃあ想いは持っていけるのか?となりますが私たちは映画を観た時には感想だけを持ち帰りますし、ボーリングなどでゲームを楽しむとボールや靴を返します。その使っていた物、自体にこだわりがあると言うよりそれはその場でそれを楽しむものだからです。もし記憶や想いさえも持ち帰れない世界に旅立つのだとしてもそれは、今まで使ってきた道具はきっとその場でそれを楽しむものであり、お気に入りだからといって次の世界に持ち込んで例えば雪山に水着を持って行くなんて事もないのかも!?なぁーんて思ったりしました。(^^)♪本当はね夢で見る映像ように自由に視点が切り替えれる世界がねあったりするかもよ〜🧙✨

さて今日は何しよっかな(^^)♪

嬉しいです(^^)