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1年越し北の地、流転する道

11月25日
特に何も無かったと思う。

11月26日
ボタ雪降りしきる中、スーツを買いに行く。新入社員?アルバイト?とにかく慣れてなさそうな女性が接客してくれた。服や靴を売る店はノルマがありそうなものだが、全然干渉してこない。
「就活用のスーツで、身長175センチなんですが、どういうのがありますか?」と尋ねても、「あ....それだと、この辺に...(津軽弁訛り)」とモジモジしていて、あんまりガツガツ来ない。

良い。めちゃくちゃ快適ではないか。

  安いのでいいやと思ったが、それは丁度いいサイズが在庫切れ。他のスーツだと予算オーバーになってしまう。どうしようかなぁとモジモジしていると、その女性店員も負けじとモジモジしながら、

「あの.....これ半額にできますので......」

そういうのはもっと元気に言った方が良いと思うが、ありがたい。随分良いスーツが買えたなぁとホクホクしていると更に、

「あの.....シャツ、ネクタイ、靴のセットが1万円にできます.......一応......」

そういうのはもっと元気に行った方が良いと思う。同じツッコミを繰り返してしまった。4点セットで予算に収まり、とても有意義な買い物をした気分。

隣町の道の駅でスープカレーを食べる。
Cセット1600円、強気の値段設定、美味かった。

11月27日
  今朝も雪が降っている。東京に帰る日が近づいてきた。ちょっと寂しい気もする。別に誰にも会わなかったし、どこに遊びに行かなかった。だが、とても有意義な帰省だった。さらに言えば、この数日間ほど父と会話をしたことは今までなかった。変わるんだなぁと思う。何が変えたのか、時間か、距離か、別の何かか。はっきりしないが、しないままにしておきたい。とにかく何が寂しいか考えると、父と離れるのが寂しいらしい。こんな気持ちになったことは一度もなかったし、絶対にそれだけは無いと思っていた。ではなぜだろう。俺が大人になったのか、それとも父が老いたのか。いつの間にか白髪の方が多くなった。大声を出すことが無くなった。怒らなくなった。なんとなく小さくなった気もする。母と比べて父は急激に老いているように見える。 ふと父の死を考えた。誰よりも悲しい気がした。自分の居場所が無いと思い、逃避し続けてきた実家に一年に一度しか帰らなかったことをなんとなく後悔するような、小さな感傷が生まれる。
   自分にははっきりした故郷が無いと思っていたが、はじめて確信する。ここが故郷だ。すると、この10年抱き続けた劣等感や孤独感や焦燥感から一気に解放された気がして、何もかもが軽くなった。すべて自分の気持ち次第だった。ずいぶん時間がかかったし、気がつくのが遅かった。だが、これでやっと解放されたのだ。案外俺は人よりも何倍も恵まれてるのかなと思う。これはまったくの錯覚だとしても、俺はやっと半分大人になったと思える。ようやっと「俺は俺を肯定する」ことができる人間になったのだ。明日は最後の休日、父親と大館の映画館に行く予定だ。

大館の話は前に書いた通りです。結局予定よりも一日早く帰ることにして、最後はちょっとバタバタしました。就活頑張ろうと思いました。

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