世界標準で物事を考えて、学問領域を超える会計学

故・平松一夫先生のことを考えています。

平松一夫先生は私にとっての恩師であり、指導教員です。

さて、平松先生は日本の国際的な立場、意見を発信するということに後半生は力を注がれてきました。

前半生では、外部情報会計に関する書籍を出版されています。

外部情報会計の研究はいわゆる意思決定有用性研究とその後繋がる話でしたので、こちらの方面に注力されれば、いわゆる、平松理論というのが実証されたのではないかと思います。

日本における実証分析において大きな影響を与えたのは須田先生でしょう。


今、第一線で活躍されている実証分析の礎は間違いなく須田先生が築かれたものでしょう。関西大学、神戸大学、そして早稲田大学で教鞭をとり、各方面で研究会を精力的に行われました。

さて、平松先生も本来であれば、こちらの方面にもっと注力するという選択肢もあったのではないか、と考えています。

しかしながら、その選択はされなかった。

生前にこの辺りのことをうかがうことはなかったのですが、エピソードを主出してみると、日本の立場を英語で意見発信していき、交友関係を深めていかなければ、日本の地位は低下するということを懸念されていました

この辺りは図らずも各国際機関における日本人の地位低下で実証されつつありますね。


つまり、研究だけではなく、交友関係を広めていく、そして海外学会のボードメンバーになり、その中でも汗をかく。そうしたことを実践された先生でした。

大学の忙しい業務の中で、研究、教育、大学行政に全力投球もしながら、海外学会の仕事もする、ということは平松先生をもってしても難しかったのだろうと推察しております。著書としての平松先生は数多くのものを執筆されましたが、それをまとめる時間がない、ということを嘆いておられました。

平松先生は国内学会の長を務めただけでなく、「International Association for Accounting Education and Research (IAAER)」の会長、「America Accounting Association(AAA)」(アメリカ会計学会)副会長を歴任されました。

国際学会に「日本の平松あり」と示した功績は大きいものです。

平松先生が切り開いた礎

それをどのように受け継いでいけばよいでしょうか?

平松先生が日ごろおっしゃっていたことを思い出すと、

「常に世界を意識した研究を行うこと」

「ガラパゴス化した研究ではなく、海外で発信しても通用するような研究を行うこと」

の2点が思い出されます。

どんなに優れた研究でも世界に発信できなければ価値はない。

つまり、世界標準で物事を考えていく必要がある、ということですね。

世界標準とは、つまり目線の問題と言えます。

三橋先生がおっしゃっている「独自性を追求して負け続ける」ということは平松先生も良くおっしゃっていたことです。

つまり、どんなによいものでもそれが標準化されていなければ世界で通用しない、相手にされない。

そうした理不尽な思いをする、ということです。

ではそれを克服するためにはどうしたらよいのか?

常に世界標準で物事を考え、時に学問領域の枠組みを超えて、会計学の存在感を示していくこと、ではないかと感じています。

なぜならば、会計学の役割は非常に大きなものになってきています。

ESG投資の評価において統合報告書に対する期待は大きなものがあり、基礎的な情報を構成する有価証券報告書の重要性は増していくでしょう。

そうした中で、会計学がどういった社会的な貢献が出来るのか?

それが問われているのでしょう。

さらに、世界標準でみた場合、日本だからこそできる、発信できる成果を示していく必要があるでしょう。

「日本のデータ、日本人だからこそできる研究」というのが、グローバル化した中であるのかどうか。

そこは確信をもって言えるところはありません。

用いられるサンプルとしてはアメリカは言うまでもありませんが、中国や新興国に関する研究が存在感を示すことになるでしょう。

そうした中で、世界標準で物事を考えて、時に学問領域を超えて社会貢献が出来る研究を出来るかどうか。

課せられている宿題(課題)は大きそうです。

どちらにせよ、一歩一歩積み上げていきます。

到底自分では果たせない課題ですので、仲間とも協力しながら。

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