なぜ、ペナルティや罰は無くならないのか。
2024年初から。羽田空港でのJAL機と海上保安庁機の接触事故が起き……世間は騒がしくなっている。亡くなった海上保安庁の方やご家族には哀悼の意を評したい。
事故を受けて航空安全推進連絡会議から出た声明が「あるべき姿だ」と称賛されている。
事故には複数の要因があり、人はだれでもミスをするものである。調査は個人を罰するための調査ではなく、安全性の向上と再発防止に向けるべきものという姿勢は共感しかない。
過去を振り返っても明らかである。JR西日本の福知山線脱線事故は運転士がオーバーランからの懲戒処分を恐れブレーキをかけなかった結果として起きたものでもある。
でも。なぜか、日本社会や企業はミスをしたり、成果が出来なかったりするときに、ペナルティとして評価を下げたり、罰を与える方向に行きがちである……。「ミスったんだから、評価が下がるのは仕方ない」や「成果が出ていないのだからこの待遇は無理もない」という認識や空気感がなんとなく醸成されているのは変えていくべきなんだろうなとふと思った。
ペナルティや罰を用いて、組織を作ること。それは一時的にマネジメントとして効いてしまう。だからこそ、一時的にでも効いて効果が出るならば……と採用する企業も多いのだろう。ルールをがんじがらめにして、ペナルティを課すこと自体が「ガバナンスを利かす」と考えている企業もあるだろう。
でも、結果的にペナルティや罰を恐れて、報告や相談をしなくなる。「ペナルティを受けずに無難にこなすこと」が目的となって、大きなインシデントが隠蔽されてしまい、本質的に得たかったことからは遠ざかってしまう。組織の風通しは悪くなり、みなに暗澹たる気分が蔓延すれば雰囲気は暗くなる。結果的に新しいことは出てこないし、陰鬱としてしまう。
僕自身はミスをしたことに対しては咎めるのではなく「どうやったら次は上手くできるだろうか?」「どうやったら今の時点からリカバリができるだろうか?」と考えたい。「成果が現時点で出ていなくても、今からどうやったら成果が出るだろうか? そのために必要な助けはなんだろうか?」と相談されたら一緒に考える存在でありたい。そして、社会全体もそんな空気感をまとっていて欲しいと思うのだ。その方がきっとより優しい社会だと思うから。
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