何者にもならないで生きる
よく耳にする「じぶんらしさ」、という言葉の中には
アイデンティティとか、他人とはちがった個性とか、秀でたものを
持っていなければならないかのようなニュアンスが
ちょっと含まれるのかもしれない。
だけど、この巷でよく使われる「じぶんらしさ」って
親のフィルターを通した「ぽさ」とか
友達のフィルターを通した「ぽさ」とかで、
自分では認識していないことを言われることが多い気がする。
じゃあ逆説的に、自分で認識している「じぶんらしさ」が
本当に私のアイデンティティなのか。
というと、それもかなりあやしい。
他人から言われて嬉しいことも、受け入れがたいことも、
きっとどちらも、自分らしさとしての事実なんだけど、
じぶんらしさとして受け入れられるものと、そうでないものを、
勝手に選別している自分がいたりもする。
もはやそこに拘らなくなったとき、
人は初めて「ありのまま」で「自由」でいられるのかもしれない。
自分らしい、という何者かになることなく
すがすがしくイキイキと、命一杯輝かして生きるこどものように、
そんな風に、生きてゆけたら、どれだけステキなことだろう。