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みらいの積読シアター

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気になる本があふれる一方の当ご時世、積読までのハードルが高まるばかりのおサイフ事情を鑑み、密かに始めた、積読「候補本」からなる『みらいの積読シアター』。演目は、物理/写真/英文学…
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#読書

みらいの積読シアター〈「ああ日本」編〉

半世紀以上、 生きてきました。 最近になって、とみに 「足元」がゾワゾワしていると 感じます。 今の今まで、 どうして平気でいられたのか? とても気になります。 知りたいです。 『武器としての国際人権  日本の貧困・報道・差別』 『世界は五反田から始まった』 『まとまらない言葉を生きる』 『犠牲者意識ナショナリズム  国境を超える「記憶」の戦争』 『なぜ基地と貧困は  沖縄に集中するのか?  ――本土優先、沖縄劣後の構造』

みらいの積読シアター〈音楽編〉

最近は、 「朗読」を聴くことが 流行っていると聞きます。 スキマ時間に、 まるで音楽のように読書を… ということでしょうか。 いやいや、 それなら、 まるで読書のように 「音楽」を楽しんだって いいじゃない? 『《水車屋の美しい娘》  シューベルトとミュラーと  浄化の調べ』  『昭和 街場のはやり歌』  →無事、積読中 『歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ』

みらいの積読シアター〈英文学編〉

大学進学にあたって、 決めた専攻は、日本文学。 当時、我が高校の女子の進路は、 「短大・英文学」が大定番。 子どものころから憧れていた 英文学を学びたかったくせに、 あまのじゃくの私は、 どうしても この「大定番」に逆らいたくて、 などとこじつけ、日本文学へ。 しかし、時は21世紀。 大学は社会人にも門戸が開かれ、 学習環境は次元を超え進化。 そして、 なんといっても人生100年時代! まだまだ捨てたもんじゃない。 「ドラキュラ・シンドローム  外国を恐怖する  英

みらいの積読シアター〈写真編〉 

撮られるのは 大キライでも、 見るのは大好き。 実は、撮ることも 興味津々なのですが。 いまは、 スマホカメラが良き友です。 「牛腸茂雄全集 作品編」 「杉浦康平と写植の時代 光学技術と日本語のデザイン」 「中国革命と写真 〜黎明期から文革まで」

みらいの積読シアター〈物理編〉

数学は得意だったのに、 物理はまったくのお手上げ状態 だった学生時代。 なのに、いま、 読みたい本は、なぜか 「物理」関係のものばかり。  そういえば、 幼いころは、 「キュリー夫人」の伝記に 首ったけでしたっけ。 寒さをしのぐために 椅子を「かぶった」という エピソード、忘れられません。 『励起』 『オッペンハイマー』  →上巻だけですが、  とうとう我が書棚へ。  それも、積読を乗り越え、  現在、読書中! 『人物でよみとく物理』 『時間は存在しない』 『