個人と組織の不一致をなくす〜「ここ」でしか感じられない自分を「ここ」では感じられる

分人主義という考え方がある。

誰だって、自分の多面性を感じたことはあると思う。

親と暮らしてる自分、
恋人と過ごす自分、
友だちと遊ぶ自分、
会社で働く自分は、
どれも全部違うだろう。

これは、自分を偽ったり作ったりしているのではない。
どれも本当の自分で、
場面によって、
自分の中の異なる「分人」が立ち上がっているのだとする考え方が分人主義だ。


佐渡島庸平さんは、『ぼくらの仮説が世界をつくる』の中で、
ストーリーや人を好きになることも分人主義で説明している。

人がストーリーや誰かを好きだと思うのは、
それらに相対した時に生まれる自分の分人に恋をしている。


愛するものを失った時の悲しみは、
彼or彼女の前でしか現れない自分の分人との別れの哀しみである。



これは、
組織やチーム、そしてコミュニティにも同じことが言えるのではないかと思う。


ぼくはいろんな集団に属しているわけだが、
それぞれに異なったぼくの分人の顔がある。


誰かが、
ある集団に属するのが好きな時、
その人は、
その集団の中にいる間に立ち上がる、
自分の分人が好きなのである。


「ここでしか感じられない自分をここでは感じられる」と思う時、
そして、そんな自分を
「成りたかった自分、かけがえのない自分だ」と思う時、
その人は、そのコミュニティを熱烈に愛する事になる。

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そんなことを考えていて、
面白いアイディアを思いついた。

それは、コミュニティに属する人が、
「私は、ここではこんな自分の分人に出会いたい!」
とお互いにリクエストするというものだ。

つまり、自分が自分をどう感じたいか。

例えば、
・ちょっと怖い挑戦にも一歩踏み出せる自分!
・面白いと思ったことは、なんでもすぐに調べられる、聞ける、試せる自分!
・困っている人がいれば、すぐに手を差し伸べられる自分!
などなどである。


各人がそんな自分に出会えるように、
周りのメンバーが、
励ましたり、
勇気付けたり、
時には厳しく指摘したりすればよいのだ。

個人と組織の不一致は、これができない時に起こる。

会社が嫌いな人は、
その会社にいる時の自分の分人が嫌いなのだ。

あるいは、
興味が湧かないのかもしれない。


だから、ぼくが言いたいのは、
「自分が感じたい分人を感じられる人たちに囲まれよう!」
「誰かの側にいられたら、その人が引き出して欲しい分人を引き出そう!」
ということだ。

簡単なことではない。
きっとある意味の努力も必要だ。

だが、
自分が出会いたい分人に出会える場をたくさん持っている人は、
とても魅力的な人なのではないかと思う。

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