なぜフィクションは面白いのか

フィクション、特に今回は、
現実にはあり得ない設定のフィクションがなぜ面白いのかについて考えたい。


世の中には、
どう考えても現実にはあり得ないコンテンツが溢れている。


魔法で空を飛べるとか、
ドラゴンが火をふくとか、
動物が喋るとか。


皆さんがどうかは知らないけれど、
少なくともぼくは、
腕が伸びる海賊なんてものに出会ったことはない。


ぼくら大人は、
喋るクマのぬいぐるみと冒険できることなんて夢見ちゃいない。

にも関わらず、
無茶な設定のフィクションたちはなぜ面白いのだろうか。

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もちろん理由はいくつかあるだろう。


ぼくが考える大きな理由は、
「ぼくらが当たり前だと思っている前提を取っ払うことで、この世界の本質が浮かび上がるから」だ。


別の視点でいうと、
「あえて現実とは異なる前提を置くことで、前提が違っても変わらないものが強調されるから」
とも言えるかもしれない。


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例えば、
ぼくは、ディズニーの中で『リトルマーメイド 』という話が一番好きだ。
(男のくせに!とよく言われるけれど……笑)


なぜなら、
人間になりたい少女の目を通して、
人間の世界の素晴らしさに気づかされるから。


地上に憧れる美しい人魚姫は、
人間を危険視する父親とケンカをする。


父親に叱られて傷ついたお姫様は、
地上で拾ったコレクションを飾った部屋で、
友だちのお魚さんに向かってこんなことをつぶやく。


本当にパパは分からず屋よ。
人間のことを誤解しているんだから。
こんなステキなものを創り出す人間の世界が悪いだなんて信じられないわ。


無垢な少女に言われて、
ぼくはハッと気がつく。

「ああ、ぼくらの世界は美しいのか」
と。


続けて、彼女はとても美しい声で唄う。

人間の住む国で 見たいな 素敵なダンス
そして歩く なんて言った? ああ!足
………
歩いて 走って 日の光あびながら
自由に 人間の世界で


ぼくは思い出すのだ。
「そうか、太陽の下を自由に駆け回れることは幸せなことなんだ」
と。


彼女は暗い海の底に住んでいる。
そして、土を踏みしめる足がない。


だからこそ、
地上の美しさ、自由に地上を旅するワクワクをぼくらに思い出させてくれる。


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フィクションには、
こうして方法で胸を打つものがたくさんある。


例えば、手塚治虫は、
この世界の前提を破壊することで、
この世界の本質を問うことの天才だった。


『火の鳥』では、
死ねない鳥と不死に翻弄される人々を描くことで、生きることの本質を問うている。


アニメ『鉄腕アトム』は、
人間ではないアトムを通して、
人間らしさとは何かを問う。

人間らしさ(殴られたら痛いとか)を削がれた存在であるアトムは人間らしく生きられるのか。

人間になれないアトムの中に見える人間らしさこそが、
真の人間らしさ、すなわち人間の本質ではないか。
と、手塚は問うているのだ。(たぶん)


アニメ最終回のアトムの死に方は、
ロボットだからこそではなく、
実はとても人間らしい死に方なのだとぼくは思う。

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ドラえもんというアニメをご存知だろうか。


この物語は、
ドジでのろまな少年を更生させるために、
未来から猫型ロボットが送り込まれるところから始まる。


ドラえもんという名のこのロボットは、
あんなこといいなこんなこといいなと思うのものをみんなみんなみんな叶えてくれる。

不思議なポッケから様々な便利な道具を出して叶えてくれる。


ドラえもんは、
少年の根性を叩き直すためにわざわざ時空を超えてやってきたにもかかわらず、
あろうことか、
少年をズブズブの便利グッズジャンキーにしてしまう
というなんともマヌケなお話である。


泣きつけばドラえもんは助けてくれるのだから。

もともと何の努力もせず、寝てばかりいる、おバカで頼り甲斐のないク◯ガキが、ドラえもんに依存していってしまうのは当たり前だ。


だが、そんな生活の中でも、
この少年は、徐々に成長し、真の友情を知っていく。


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『帰ってきたドラえもん』というお話をご存知の方も多いだろう。


ある日、ドラえもんは未来に帰らなければならなくなってしまう。

少年とロボットは別れを惜しむ。

そして、少年とロボットの別れの夜に、
少年はジャイアンという世界最強のオンチに戦いを挑む。


少年は、
いつも自分いじめるオンチゴリラに立ち向かい、
ズタボロになりながら言うのだ。

ぼくだけの力で、きみにかたないと……
ドラえもんが安心して……
帰れないんだ!


ぼくらは、
絶対に1人では決して生きていけないこのダメダメな少年から学ぶ。


「真に相手のことを想うとは、
依存することではなく、自立することなんだ」と。


「だれかを愛するとは、
あなたがいなければ私は死んでしまう!と泣き叫ぶことではない。
あなたにはあなたの人生を生きて欲しい!私は1人でも大丈夫だからと、胸を張って言えることなのだ」と。


さらに、この物語のラストで、
ひみつ道具の力で帰ってきたドラえもんに対して、
少年はとても美しい嘘をつく。


うれしくない。
これからまた、ずうっとドラえもんといっしょにくらさない。


この時ぼくらは気がつく。

「愛とは、
自分はあなたなしでも生きていけるけれど、
それでもあなたと一緒にいたいと願うことなんだ」
と。


つまり、この物語は、
本来友情が芽生えるはずのない人間とロボットの友情を描くことで、真の友情とは何かを描き、
現実にはあり得ないぐらいダメな少年を通して、人が成長するとは何かを問う物語なのである。

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ぼくら人間はとても愚かな生き物だ。

この世界に溢れる素晴らしいものを当たり前だと捉え、その素晴らしさを顧みることはない。


当たり前を奪われなければ、
この世界の本質を深く問うこともなければ、
当然理解することもない。


無茶な設定のフィクションは、
ぼくらから前提を奪い、
ぼくらが当たり前だと思っているものについてもう一度深く考えるきっかけを与えてくれる。

だから面白い。

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