偏愛を愛する

ぼくは、偏愛の持ち主?だとよく言われる。

いつからかは分からない。
物心ついた頃にはそうだった。


幼い頃、
母が寝る前に読んでくれる絵本が好きで、
すべての本の全文章を覚えてしまった。

幼稚園の時ジブリが好きになってからは、
小学校5年生ぐらいまで週10でジブリを見た。
(お気に入りのラピュタは週4!笑)

登場人物のセリフから動きまですべて覚えているので、
ベッドの中ではジブリを頭の中で再生しながら眠りについた。


だが、両親、特に面倒を見てくれた母は、
一部の物事に異常に執着する、
アンバランスな息子を気持ち悪がった。


ぼくは、興味があること以外が疎かになる。


例えば、何かに夢中になるとものをよくなくす。

遊びに行ってはカバンを置いてくる。
何かを買いに行ったら、それに夢中になって、ゴミと一緒にお釣りを捨てる。


塩が好きすぎて、
親の目を盗んで塩を食べすぎた結果、
ぼくは吐き続けて病院送りになった。
(これは偏愛とは違うかもしれない 笑)


母は、そういうことが起こるたびにぼくを矯正しようとした。
だが、興味がないことへのぼくの無関心はついぞ治ることがなかった。


ぼくは、怒られるたびに自責の念に駆られた。


そして、大きくなるにつれ、
ぼくは、徐々に精神のバランスを崩すようになった。


だが、最もつらかったのは、
怒られることではなかった。

親や周囲の大人・友人がぼくの話を忘れてしまうことだ。
ぼくは、人と話したことをほとんど忘れることができない。
(気持ち悪がられないために、忘れたふりをすることはよくある 笑)

他者との会話や言葉に異常な執着があるのだ。


今思えば当たり前なのだが、
母や幼稚園の先生などは、
ぼくがした話をなんとなくしか覚えていない。


自分がした話を誰かに忘れられる度に、
ぼくは、他者の自分への無関心に傷ついた。


どんどん孤独を感じるようになった。
人と話すのがどんどん怖くなっていった。


そして、小学2年生の春、
ぼくは1人で小学校に行けなくなった。


もちろん家族や親族は大パニック。
母はよく泣くようになった。

子どもの頃からほとんどコミュニケーションを取ることのなかった父は、
学校や母からの報告を聞いては怒るだけの恐ろしい存在でしかなかった。


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だが、そんな我が家に転機が訪れる。

小学3年生のとき、
母のママ友の勧めで行かされることになった塾の夏期講習で、
ぼくはズバ抜けた成績をおさめる。


勉強が楽しくて楽しくて仕方がなかったのだ。


先生は、母を呼び出し、
ぼくを塾に通わせることを勧めた。


そしてそれ以来、母はぼくを
「あなたは特別なのよ」
と言って育てるようになった。


両親は大学を出ていないので、
コンプレックスもあったのだろう。
とても嬉しかったんだと思う。

あの頃の母の嬉しそうな顔を忘れることはできない。


ぼくは、
教科書の隅々まで写真を撮るように鮮明に覚えるようになり、
もちろん成績は伸び続けた。


自信を持ちはじめ、
学校にも1人で行けるようになった。


だが、
関西でトップレベルと言われる中高一貫校に進学し、
日本で一番と言われる大学に入学するまでの間、
ぼくと家族の溝は深まる一方だった。


ぼくが勉強で結果を出すにつれて、
家族はぼくを、
「自分たちには理解できない遠い存在」として扱うようになった。


テレビで取り上げられるような「賢いけどおかしい人」というフィルターでぼくを見る。


妹が、学業で"想定の範囲内"の結果しか残せなかったことも加わって、
家族はぼくについて、
「"やっぱり"あの子は小さい頃からおかしかった」
と言うようになった。


ぼくも彼らを見下すようになり、
高校生の頃には、
家族と話すことはほとんどなくなった。


ぼくは、「特別な」存在だった。

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今でも、
親、特に父親とはほとんど話さない。

とはいえ、
気持ち悪がられたというだけではない。
愛されていなかったとも思わない。

ある程度は仕方がなかったのだと思う。


両親からいただいた環境のために、
ぼくと家族の共通の話題はどんどんなくなっていってしまったのだから。


中高時代に親と話すことなんて勉強の話題以外にない。(ぼくだけ?)
大学受験をしていない両親と勉強の話をしろと言われてもかなり無理があるのだ。


両親から、環境やチャンスを与えられたことは心から感謝している。

だがその結果、
ぼくと家族は、
話が通じないとお互いに感じるようになっていったのだった。

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こうして無事に、
ぼくはアンバランスな青年に育った 笑


最近では、
落語家の故・古今亭志ん朝が好きすぎて、
数年間彼のネタを聞き続けている。

彼のほとんどの持ちネタで、
彼がどこで息継ぎをするのかまでおぼえてしまった。
彼が生前好きだったと紹介されている食べ物は全部食べ歩いた。
休日は、彼が家族と過ごした家の周りを意味もなくうろつく。
完全にストーカーだ 笑


今でも考えることに夢中になると、物をよくなくす。

この2ヶ月で、
家の鍵と免許証&クレジットカードをなくした。
家の鍵をなくしたときは、3日間オフィスに寝泊まりすることになった 笑


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ぼくは、こんな自分の人生から、
自分と他者の「偏愛を愛する」ことを学んだ。


自分に子どもができたら、
彼らの偏愛をありのままに受け入れることに決めた。

それは、相手が大人であっても同じだ。
親しい友人の偏りをそのままに受け入れたい。


ぼくは、新しい友人を作るとき、
自分のアンバランスさを受け入れてくれるかどうかを初対面で敏感に感じ取る。


とても有り難いことに、
今はそんなアンバランスさを受け入れてくれる友人に囲まれている。

中高大と、
彼ら自身が相当アンバランスな友人たちに恵まれた 笑


コルクラボのみんなも受け入れてくれるだろうと、初対面の時に直感的に感じた。
だから、
まだあまり話したことはないけれど、
みんなに心を許すことができるのだと思う。


最近は、
自分の好きなことを好きと言える世の中になってきたと感じる。
とても素晴らしいことだと思う。


ぼくも自分の好きなことを思うままに主張できるようになった。

ぼくはこれからも、欲望のままに、
自分の好きなことに身を委ねていたい。

そして、他者の欲望も同じように受け入れたい。


そうあり続けられることをぼくは心から願っている。

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