ぼくらがコミュニティを作る理由

ぼくらが、何かをしたいと思った時、応援してくれる人は誰だろうか。

友だち、家族、会社の同僚?

では、ぼくのしたいことが彼らに理解できなかったらどうなるだろう?
ぼくの友だちは、みんないつだってぼくのことを応援してくれるだろうか?

ぼくが、彼らに理解できないことをしたいと言い出したい時の反応は、せいぜい、
心配される
反対される
説得される
バカにされる
かげで笑われる
が関の山だ。
最悪、「私はあなたのためを思って言ってるのに!!」とヒステリーを起こされる
かもしれない

頭のいい人は、自分のやりたいことが周囲の人間に理解されない時、そうなることがわかっているから、友だちにも言い出せずに隠れてやるか、周りの人間に合わせて自分の自由を諦めるしかない。

人は自由じゃなかったのか?
自由が大事、個性が重要ってみんな言うのに。
話が違うじゃないか。
自由になった途端、誰にも理解されない。

これが、「自由な」時代に生まれた、「自由な」ぼくらが孤独な理由だ。

だったら、どうすればよいか。
自分の突飛なアイディア、世間一般からは離れた思想を理解してくれる仲間に囲まれれればいい。
生まれた場所や、持ってるもの、学歴や職業とは関係のない、自分のやりたいことを中心に作り出す、理解者の集まり。
それがぼくの思う、新しいコミュニティの形だ。

起業したい人は、起業したい人とつるめば、起業を後押しされる。
CMを作りたい人は、クリエイティブなひとに囲まれればいい。
でも、誰かが作った組織に属するのは、また窮屈なことが起こるから、自分で好きに作ればいい。
当たり前といえば当たり前、やってる人はやっていることだ。
だが、インターネットによって、ぼくらは誰とでも繋がることができるようになり、自分の自由を共感しあえる仲間に出会いやすくなった。

昔は、育ちや環境に規定されて、所属できるコミュニティが決まっていたが、現代はそれを自分の意思で選べるようになった。
誰かが作った学校、部活・サークル、会社に入るのではなく、自分が欲しい時に自分の都合のいいように作るもの。
そんなコミュニティが「自由な」時代のぼくらのコミュニティではないか。

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