環境を変えるのは難しい
時期は冬。
タイヤ交換を終えた次の日は大寒波がやってきて、道路のコンディションがひどい一日だった。
勤務を終えて車を走らせると、路面は凍っていて、ちょっとでも速度を出そうものなら滑ってしまう状態だった。
「今晩は冷凍の唐揚げパックを解凍して、鍋も作ってうどんでしめようかな。」
「今日もきつい一日だったけれど、明日が終われば週末だ。」
早く帰ろう。
速度制限時速40kmの田舎道をいつものように帰ると、途中、田んぼ道から本線へ進行する車両があった。
軽トラックで、車両の側面に高齢者マークをつけていた。運転手を見ると、髭をたくわえた70代の男性がハンドルを握っていて、曲がった先の道ばかり見ている。車両は本線の交通状況を確認する間も無く、その方向を90度変えようと、横道から目の前にヌッと出てきた。
「おいおい、それはちょっと強引じゃないのか」
田舎道は狭く、譲り合いの精神がなければ簡単に渋滞になってしまう。
通常なら、田んぼから進入しようとする車両があれば、こちらが速度を落とし、ヘッドライトを点滅させることで進入を促す。
しかし、今回はその間もなかった。
「仕方ない。向こうにも都合があるだろう。」
「それに、こちらに気づけなかったということもある。これはいつものように譲って、前を走ってもらおう。」
すると軽トラは後輪を見事に滑らせ、軽くドリフトしながら進行方向を変え、時速15km未満で前進を始めた。
「夏タイヤか」
タイヤはカーブのたびに空転し、坂上の停止時には後ろへズルズルと落ちてくる。
危険だと感じた。
近づけば衝突の恐れがある。
そうでなくても、対向車との衝突が考えられるほどに、車体は横に揺れていた。
明らかにタイヤ交換をしていない。
事故に巻き込まれたくなかった。
車間を通常の3倍あけて、時速15kmを守って地道に距離を稼ぐことにした。
少し先で軽トラが腰を振っている。
「まぁ、距離をとっていれば巻き込まれ事故は避けられる。このままゆっくり走り続けて事なきを得よう。」
バックミラーを確認した。
すると、車間を詰め、速度を上げるように催促してくる車両があった。
ヘッドライトを点滅させ、近づいては遠のき、近づいては遠のきを繰り返している。
近づく時は衝突してもおかしくない距離だ。
「あおっているのか」
前の車両に対しては、距離をとれば良い。
しかし後続の車両に「前の車がおそらく夏タイヤで、とんでもない速度で走っているものだから、距離をとって様子を見ているんです」と伝えることもできない。
どうしようもなかった。
これが理不尽というやつで、変えることは難しい環境と直感した。
世の中は、いろいろな事情を抱えた人たちで構成されている。
与えられた環境の中で、近づいてくる危険とは距離をとる。しかし、だからといって全てのストレス要因を取り去ることはできない。自分の行動によって新しいストレスが生み出されることだってあるのだから。
環境は変えられない。
でも、ベターは選び取れる。
危険を危険と察知できれば、距離を取ることができる。
危険があって、自分はどうしようもない状況なのだ、ということを周囲と共有することも、できるかもしれない。
環境を変えるというよりは、環境の中でベターを探すことが大事なんだろうと思う。
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