寿司屋の気まぐれ
入店するのは20時を過ぎてから。日本酒二合とヒカリものを4貫だけ注文して、あとはちびちびやる。お通しがあるから、会計すれば1600円。これが俺の流儀。
店の扉を開けると酢飯の匂いがする。入ってすぐにカウンターが6席あり、ネタが収められたケースとサザエやなんかが入った大きめの水槽が目を引く。
向かって左側を見れば小上がりが3つ。どれも4人の大人が座れば、脚を崩したときに右か左か悩むくらいに狭い。最近流行の個室にもなっていない。
天井を見れば蜘蛛の巣がかかっている。70を過ぎた店員は気づかない。背中が曲がり、顔は赤い。バックヤードの酒を飲んだらしい。客も、店員の腕が震えているのを認め、たしなめている。
なんて、いい加減な店だ。
「なんにしますか」
「お酒二合と、光り物をいつものようにお願いします。」
「いつもってほど来てもらったかな」
「これから通いますよ」
しばらくして二合徳利とお猪口が渡された。
20分たっても、寿司が出てくる気配はない。店員はタバコを吸っている。灰皿の脇を見ると、ノンアルコールの缶がある。
カウンターに座った俺は、馴染みの客と思しき3人組に声をかけ、寿司が出てくるのを待った。3人組の平均年齢は72らしい。認知症にならないコツはないものか、という話題で18時から飲み続けているそうだ。
3人組のうち一人が店員の方へ視線を移した。
「おい、客が待ってるじゃねぇか。握ってやれよ。」
「酢飯がねぇんだ。炊けるの待ってろって伝えてくれ。」
「目の前にいるんだ、ちゃんと自分で言え。」
そうこうしているうちに酢飯の用意ができた。
店員は、4貫、きっちり握ってくれる。目の前に寿司が運ばれた。
「あいよ」
ほおばると、コメが口の中でほどける。ほどけるとはこういうことか、と思う握り加減だ。
ガリをネタの上にのせ、醤油につけて口に運ぶ。これが光り物の食べ方だと教えてくれたのは、この店員だ。
「おまけ」
店員は、そう言って俺の皿に2貫追加した。コハダだ。丁寧に下ごしらえしたのがわかる。独特の食感と酢飯の旨味に、コハダの肉がのってくる。酒に合う一品だ。
満足した俺は席を立って会計に進んだ。
「1800円になります」
全然、おまけじゃぁなかった。
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