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推しが泣いた日

25周年だった。

1995年11月1日、その日私の推しグループは生まれた。そしてそこから25年経った2020年11月1日、彼らは25周年を迎えた。元々25周年コンサートは行う予定だったらしいが、このような状況になり、オンラインでのコンサートとなった。彼らに直接会って、おめでとうとありがとうを伝えたかったファンとしてはやはり若干の寂しさはあった。でも彼らがこんな状況下でもどうにかしてファンと記念日を共有したい、感謝を伝えたいと思ってくれるその気持ちが嬉しかった。普段からあまりに謙遜しすぎる彼らだから、25周年を目前に控えてもなおあまり欲を見せない所に少し悲しさを覚えていたけど、やっぱり当たり前だけど、ファンと同じように特別な日だと思ってくれていることが本当に嬉しくて、当日を楽しみにしていた。前日には前夜祭という名の配信も設けてくれて、ファンのためにできることをたくさん探して届けようとしてくれていることがとても伝わってきた。そして本番当日、コンサート本編は正直あまり記憶に残ってない。コンサート特有の思い出そうとすればするほど忘れるあれである。ただメンバーも言ってたけどセトリがほんとに新規はついていけなさそうなかなりファン寄りのものになっているって印象を持ったのは覚えてる。私のファン歴は20周年からなので5年と彼らの走ってきた年数を鑑みるとあまり長い方では無い。そのため確かなことは言えないが彼らのコンサートのセトリとして見ると珍しい方ではないだろうか。「攻め」がテーマと彼らが言い切っているだけのことはあったと感じた。それにほんとに様々な点がファンを主軸に作られていると感じられた。ファンがたどる道をたどってくれた配信然りセトリ然り会場内の座席の方まで彼らが足を運ぶ演出然り、寂しさを感じているであろうファンのために距離を感じさせないよう考えられたと思われる色んなことがほんとに涙が出るほど嬉しかった。直接会ってはいないけど、離れていない、繋がっているよ、俺たちとファンのみんなとの間に距離なんてないぜって言われてるようだった。この人たちのファンになってほんとによかった、彼らのファンでいることが誇りだって改めて思えた。

そして本編後にはFC会員限定配信も用意されていてもうほんとに至れり尽くせりだった。ここでようやくタイトルに繋がる。詳細は省くが推しが泣いた。先程も述べたように私は20周年からハマったオタクなので5年間彼らを追いかけてる。私はこの5年の間で私の推しであるグループのリーダー、坂本昌行さんが泣くところを見たことがなかった。5年間ずっと最前で追いかけてきましたという訳ではなく少しテレビが追っかけられなかったり雑誌が買えなかったりということはあったけど、それでも舞台があればチケットを買い遠征をしたりグッズは一通り買ったりと自分のできる範囲で彼を追い続けてきた。ある程度はファンをしてきたという自覚はある。そうやって追いかけてきてもなお、私は坂本くんの涙を見た事はなかった。もしかしたら私が見逃してただけでどっかで流していたかもしれないけど。

坂本くんは、私が知っている範囲での話だがビビりで緊張しいで、およそ自分がリーダーに向いてる器だとは思っていない。自分が他の5人について行ってる立場だと思っていると様々な場所で何度も口にしている。確かに坂本くんは基本的に端っこでニコニコしていて注目されると緊張する性格も相まってあまり前には出たがらない。それでも、グループの方向性を決めているのは紛れもなく彼で、彼の決めた道を先に進んでいくのが他の5人であるだけでリーダーは間違いなく彼なのである。彼がグループとしてのやり方を決め、それぞれが自由であることを否定せず受け止めてくれるからこそV6はいつ集まってもV6になれる。それは坂本くんがリーダーとして作り上げたV6だけのものである。そしてそうやって皆に任せてるという雰囲気を出していたとしてもやっぱりリーダーの重みは常に彼のそばにあるんだと思う。彼は弱音を吐かない人だ。膝を悪くして手術をした話を聞いてほんとにそう思った。心配すらさせない。これまでのつらかった経験とかを番組内で話していたりすることは聞いたことあるけど、それも全部笑い話に変えて、「そういうこともあった」と話す。ほんとの自身の辛さは、ファンに1ミリも感じさせない。プロだからそれは当たり前のことなんだろう。笑顔と元気をファンに与えることが彼の仕事だから。

そんな坂本くんが、ファンのサプライズを受けて、これまでの25年に思いを馳せて、言葉を詰まらせて、涙を流した。私は。彼の涙に衝撃を受けた。ショックとも言えるかもしれない。坂本くんが番組とかで喋っている範囲で、リーダーとして25年走り続けてきた辛さとかしんどさとか色々があるんだということを頭では分かってるつもりだった。それは私たちファンがわかっている以上にとても重いものだということも、理解しているつもりだった。それでも決してファンにはそのつらさを見せず、悟らせず、走り続けてくれていることも。わかっているつもりだった。その彼が泣いた。ファンが見ているとわかっている場で。彼がアイドルとして、グループのリーダーとして、ファンに決して見せなかった部分が見えた。衝撃を受けた。私はその時、あ、坂本くんて泣くんだ。と思った気がする。つられて泣いていたのだが正直あまりの衝撃で自分が何で衝撃を受けているのか、なんで泣いてるのか、よく分からないままただ泣きながら彼を見ていた。

終わってからずっと考えていた。自分は何にショックを受けたのか。私は、坂本くんは泣かない人だと思っていたのか?つらいこともしんどいことも全部当たり前に自分の力に変えて前に進んで行ける人だと思っていたのか?そこに伴う努力や苦しみが、ないと思っていたのか?そんなはずないのに。私は彼の涙でそんな当たり前のことすら見えていなかった自分に改めて気づかされた。

これまで私は、坂本くんの何を見ていた?

自分のファンとしての情けなさに涙が出た。彼が詰まらせた言葉の裏にどれほどの思いと覚悟が隠されていたのか。何も見えていなかった。それと同時に、私が坂本くんのファンである意味って何だ?って思えてきた。私がこれからも変わらずファンとしてい続けたとして、これからも同じように彼の苦しみやつらさを理解することはできないだろう。ファンはアイドルが見せてくれる面でしか彼らを知ることはできない。それは当たり前のことだし、それ以上を知りたいと思うようになったらファンを辞めるのが賢明だと思う。私はもしかしたらそういう推しや公式に迷惑をかけかねないファンになりかけてるのでは?担降りするべきかと頭を過った。私がこれ以上、好きでファンでい続けたとしても私は彼の苦しみやつらさを軽くするどころか知ることすらできない。推しのしんどさを何もわかってあげられない。それは坂本くんが望んでいることではないとわかっているけど、でも、ファンでいる意味ってあるのか。ずっと考えてたけど答えは出ない。当たり前だけど答えなんてない。私が勝手に好きになって勝手にファンをやってるだけで、意味を考えることがそもそも間違っている。それでも一度その考えに至ってからはその考えが頭を離れなくなり、彼を見るのがしんどくなった。これはまじで少し彼らから離れるべきかと配信コンサートが終わってからずっと考えてた。

それでも彼らを応援したい気持ちはあって、せめて愛なんだを見て25周年の波が一通り落ち着いてから決めようと思った。愛なんだでは彼らは変わらず学生を応援していた。V6は、こういう状況になり悔しかったり悲しかったりした学生たちのために、自分たちのできることをして彼らを元気づけようとしていた。自分たちのできることをしていた。その結果学生たちは泣いたり、笑顔になったりしてV6に感謝を伝えていた。自分たちがやってきたことを発揮する場が持ててほんとによかったと。私は、これが"応援"なんだと思った。V6は、学生たちが、大会が出来なくて、大勢の人の前で発表する機会をもてなくて、悲しみや悔しさを感じていることを、理解はできてもそういう場を作ってやる事は出来ない。それでも彼らはどうにかできないかと。何か自分たちにできることはないかと考えて行動に移していた。そしてその結果、学生たちの悲しみや悔しさ、これまでの頑張りは、報われていた。つらい年だったけど、V6の、自分たちができることを、という行動によって学生たちの気持ちは確かに救われていた。誰かの「誰かのために」という思いは、行動は、その「誰か」に届くんだって思った。それはほんとに今更な当たり前なことで、でもその当たり前に気づけたことが、気づかせてもらえたことが、嬉しくて、涙が出た。

私が彼のためにできることは何だろう。


色々書いてきたが、やっぱり坂本くんのファンでい続けようと思う。私が応援しようがしまいが坂本くんの人生には一切関係ない。私が勝手に好きになって勝手に応援しようと決めたから。これからも彼の苦しみやつらさを、軽くするどころか理解することも恐らくできない。でも今回のことで、彼が私が思っている以上にずっとずっと重いものを背負って走り続けようとしてくれていることを知った。つらくても、苦しくても、その姿を決してファンには見せず、まだまだ走り続けようとしてくれていることを知った。

そんな彼だからこそ、彼が走り続ける限り応援したいと思う。意味なんてなくても、いつかほんの少しでも彼の背負ってるものが軽くなることに繋がるように。頑張ってきてよかったって、彼が少しでも多く思えるように。

願わくば、彼が今日も(飲み過ぎには気をつけて)お酒を美味しく飲めますように。

世界一かっこいいぜ、坂本くん。

25周年、ほんとにおめでとう。

ほんとにありがとう。