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舞台とコンサートの間(忍)

はいはいはい。虎者NIN-JAPAN 2021を観てきました。色々噂には聞いてたこともあったけど結局は己の眼で、自分の主観で見てみなわからんよな〜と思って地味に楽しみにしてました。

ネタバレまみれな感想(大散らかり文)ですのでお気をつけ遊ばせ。

好きだったところ

無駄な走りがない
 なんか最近特に、キャラクターの意思と関係なく走ってハケるとこ見るとなんとも言えへん冷めた気持ちに襲われる。急いでたり焦ってたりなにかの大きな感情がないとそんな急に走らんくない?人ってって思っちゃうから、今回はそういうのはなかったし走ってる時は走ってる動作に意味がありました。

いい意味で別にカゲロウが女性である意味はなかった
 なんか前までの色仕掛け?カゲロウと恋に落ちて、、みたいな下りはなくて、ちゃんと1キャラクターとしてストーリーと動機と感情があって成立してたように感じた。伏線の回収はカゲロウが全部担ってたし、虎者よりセリフが多いだけあるなって感じしたw(ほとんど男性タレントで構成される事務所主宰舞台のカンパニーって難しいやろなって思う。)

(ちゃか)松(松)大好き
 そもそも紅孔雀の曲がおしゃで良かった、振り付けもラップも素敵やったし3人ともその舞台の人間として生きてた感じがした。まあそもそもちゃか・のえる以外にセリフってセリフはあんまりなかったんで判断基準ガバガバやけど。2幕でもここ3人が真ん中に集まるとちっちゃいけど大きい気がして見応えがあった。(関係ないけどしめのラテンっぽいダンス見てたら手越のEROTICA思い出した、華奢で柔軟やと似合う曲調なんかな)

松松間の解釈の一致
 松松が好きなのってこういうとこだよなあ!!って改めて実感する機会になった。2幕含め、2人の目線が会う瞬間全てが宝。節々の細かいところは色々あるけど、中でも一番印象に残ってるのは敵のモノローグ中突っ立って聞いてるだけじゃなくて周りを警戒してる姿勢が2人ともにあったとこ。リーダーは相手方と会話をしてるからそっちに集中してるのは理解できるけど、罠にかかってしまって敵に囲まれた状態でボーッと話聞いてる忍者ってやばくない?せめて1・2人が対峙してるなら残りは周りを警戒してるべきでしょ。そういう2人の舞台との向き合い方、繊細さが(一緒に台本の読み合わせをしてるだけあって)発揮されててこれからの松松にも希望はあるなと思いました。

松倉顔に全部出る!
 楽しいも悲しいも悔しいも踏ん張りどころも全部顔に出る松倉愛おしすぎる。舞台に立ってパフォーマンスをすることがただひたすらに楽しいんやなって見ただけでわかる瞬間的に出る恍惚とした表情に惚れ惚れしたし、最初好きになった松倉からいい意味で何も変わってないんや!って安堵&感動しました。松倉は松倉で、個性を殺すダンスとかと向き合って悩んで色々試行錯誤してきたし、私は私でこの数年間色々思うこともあって成長と退化を繰り返してるわけで、ズレが生じる余地はいくらでもあると思うけどやっぱりパフォーマンスを見てこれこれこれ!!って強い確信を得られるのはでかいなって思ったしこれからも変わらないで欲しいなって思った。推しのドリームワークス顔大好き(片眉上げてニヤリ)やからそれを二階からやけど見れたのも良かったし、席に関わらず顔がボチボチ平等に見えるように目線を意識してるところがなんとなく感じ取れて安心した。殺陣も上手でSHOCKとか勝手にBLANKとか思い出してたよ。推し全員の刀持ってる姿見たいな、結構制覇してるはずやけど。あとTogether Nowで確実に(双眼鏡越しながらも)目があったと確信できる瞬間があって非常に喜ばしかった。
 あと夢ハリのイントロ前ソロを初めて自分の耳で聞けて嬉しかったな。千年メドレーのソロもそうやけど、つやつやもちもちのお顔からあんなふくよかで節々に癖のある声が出ていいものかと思っちゃう。いいんです、これが松倉海斗なんです。



好きじゃなかったところ

感情表現と伝えることを両立しておくんなまし
 これは音響の問題かもしれへんけど、何言ってんのかわからん瞬間がちょくちょくあって、怒り・嘲りの感情の描写だ〜って思っても実際どんな言葉を発してるのかわからんからニュアンスが伝わりきらんかった(個人的に)場面がいくつかあったな。あと、感情爆発表現はいいけどそのセリフが客の耳に届いてなかったら意味なくない?って何回か思った。叫びゃええってもんじゃないのよ(まあそれは普段のつべから思ってることですが)

脚本・ストーリーがはにゃ?なところ
 二手に分かれる云々の件の決着は?突然挟まれるダイジェスト、、そして急にノエル生き返るやんw結局戦い続けるの?最後どうなったん?と、もちろん辻褄が合ってるとこもあるけど、最終、うーーーーん?あっ、ショータイム始まったわ、、ってなっちゃう。読解不足と取られても仕方がないっちゃないねんけど1発で伝わる構成をしてもらわなきゃ困るんですよ。
 中でも結局ハヤブサが朱雀に逆上したのが納得いかなかった人もいたみたいやけどそこは「個人主義vs個人主義は結局自分の利益に欲が出て破滅に向かうよ〜」っていう解釈で受け取ったからそこに矛盾は感じなかったかな?それ以上にストーリーやメッセージをより強調したかったらこうしたら良かったんちゃうん(ノエル1人で脱出できるなら集団でいる意味ある?など)って点が節々にあったかな(ともう一度あとで同じこと言います)。そういや1幕・2幕間の謎ポエムなんやったんやろか、、?

キャラクターの作りが甘い
 甘い!甘すぎる!かつみ♡さゆりのかつみの人生観ぐらい甘ーい!ヒーローと悪者を描く話の定石ってある程度どちらにも感情移入できることじゃない?悪者にも曲がりなりの正義があって、その目標に向かって進む中でヒーローが邪魔になって戦うっていうのなら理解できるけど、カゲロウはよくわからんまま虎者を目の敵にしてるし、影虎達ははただ長いものに巻かれ続けて子供やじじばばの泣き叫ぶ顔を楽しみにしてるって言う…動機も成り立ちもわからんしどう言う存在なのか(影虎は悪事をするためだけに生成された生物なのか?)がまるで伝わってこない。朱雀の理屈はまだわからんでもないけど、愛した妻(処分済み)が存在してた訳で、そこから世界を闇で覆うって思考に至るまでの成り行きもさっぱりわからへん。急に朝起きて思いついたん?てかそれ以前に闇で世界を覆うとは??一体どういう手段で?マーベルはぐちゃぐちゃ科学なりになんかそれっぽい理屈があって、それっぽい技術があって実現され(そうにな)るけど、、てかあの杖と首飾りは何?象徴とかなのか実際の魔術かもわからへん。
 概念の詰めが甘いって点で言うと、真の虎者って何?ってとことか急に出て来る朱雀のアジトっぽいお城は何?とかこの舞台のみで成立する専門用語・知識があるならそれは先に提示しといてもらわないと(説明のくどさはあるけど)急にトランポリンで知らん城の壁登り出すとこっち戸惑っちゃうよ。
 虎者も虎者で、後半の殿のモノローグで「個々だとどうしようもなかった虎者がどうして、、」みたいなセリフがあるわけやけど一人一人じゃどうしようもなくて喧嘩ばっかりしてる描写が入ってないと、せっかくの終盤やのにあ、そうやったん?ってなるやん!メッセージ性がチームワークの大切さ(個人主義の脆弱性とでもしましょうか)なのであれば前後の変化がないと強調もされへんし、最初のみんなで行くか二手に分かれるかが揉めてる弱い姿なのであればほんまのチームワーク皆無状態を見にSISの旅行委員の会議を見に来て欲しい(まだ言う?w)

メッセージの方向性迷子問題
 チームワークの大切さ及びトラジャがトラジャ7人として存在することのかけがえなさが主なメッセージなのであれば、殿付け/付けない問題は一旦置いといた方がいいし、もしどうしてもハセジュン(ハセジュンって言うな)の話をしたいなら、悪事は許されへんけどこの7人を引き寄せてくれた訳やからこれが全部無駄やったわけじゃない、7人はたまたま同じ運命を背負うことになったけど、これからこの7人でい続けるのは自分らの意思だ(chosen family的な?運命・奇跡へのアンチテーゼでもあるけど)って言うてくれる方がまだ腑に落ちる。結局は家族だからね〜の謎悪事徳政令理論が削られたのは進展やけどその名残はあるんやなって改めて思い知らされた瞬間でもあった。
 てか育ての親でもそんな簡単に許すなよ〜!気持ちはわからんでもないけど、真の平和を実現させるために何故か世界を暗黒に包もうとしてるねんで?やばいやん!そう言う家族は何があっても家族だよ的価値観が未だに蔓延してるのはわかるけどそこを強化していく意味って今はあんまりない気がするし全体主義万歳スタンスとは相性いいけど苦しみを生み出すだけな気がするんよ…ただ3年やって3年ともここの理屈の方向性が変わらんってことはここがメッセージの核なんやろな〜脱出できるといいね。(うっすらしか知らん演出家の生い立ちとかとも関係があるんかな〜って思わんでもないけどそこつつくのはちゃう気がするから置いとくね)(そういや地獄谷で待ってるぜ、、ってセリフ聞いた時に思わず野田駅集合?って思ってしまいました、ごめんなさい)
 って言うか、オチ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!笑いあって進んでいくんだ感はわかるけどサムシンググレートは別になんの伏線回収でもないし、「2度はくどいぞ!」は可愛いけどたわいもない会話のシンボルに使われてるだけで特に意味もないし。
 しかも真の平和も目指すために戦い続けるって終わり方やったけどそれやと真の平和訪れなくない??平和のための戦争です!って戦争続けられてもどう見ても戦いは戦いなわけで、、そこも腑に落ちひんかった。とにかく終盤はいや、どう言うこと???ってなってたし物理的に頭抱えてた。まあすぐショータイム始まったんでニッコリ笑顔でしたが。



 ところで、なんでこうなっちゃうかにはちゃんと理由があると思うねん!別に客層をナメてるわけでもなく、演者の力不足(だと断言できるわけ)でもなく、要するにこれ


発表会が主軸にあるから舞台としての構成が緩くなる


 なにせ某歌舞伎にも言えることやと思うけど、別に舞台として成立することが主たる目的ではないわけ。実力・特技の発見・発揮チャンスであってストーリーは2の次だからごちゃごちゃっとして最後、わからんけどかっこよかった😊ってなるんやと思うねん

 別にそれが悪いことやとも思ってないねん。そういうタイプのエンターテイメントがあってもいいと思うし。まあ舞台・観劇みたいな呼び名を使うことに若干の違和感は感じるけどコンサートみたいな舞台、舞台みたいなコンサートっていう狭間の存在はこれからもあればいいと思うし、もしチケットが当たれば自分も行くと思う。
 ただ、結局オタクがかっこよかった!で終わるような作品作りをした上で「ちゃんと舞台として見てほしい」「流すならビジュのレポじゃなくて芝居のレポを流して欲しい」って言っちゃうのはちゃうよな〜って改めて思いますねん。もちろんネタバレをしまいとストーリーに関する感想を敢えてあげてない人もいるやろし、普通にストーリーに感動して芝居の見所をあげてる人も全然いると思うけど、そもそも受け取り方を指図する傲慢さと虎者がお芝居的価値(?)があるというスタンスを一回脱ごうぜっていうお気持ちでございます。(って言うかガチお芝居的評価・評論されたら困っちゃうのは本人たちの方な気がすんのよな)

 実際にトラジャができることで言うと、脚本や演出に関する疑問点や相談をより積極的に周りの大人にすること(わからんけど、少なくとも数人は??って思ってる側面があると思うねん、これは期待でしかないけど)やグループ全体・カンパニー全体でもうちょっと練り合わせをしてどう言う設定で誰がどう動いてるかの共通認識を作り上げることじゃないかなあ。お前に何がわかるねんって話やと思うけどどうしても舞台って呼びたいのであればもうちょっと一貫性が欲しいしトランポリンの演目多少削って観客にすごいって思わせる要素を減らしてでも、ストーリーの文脈を立て直して比重を整えて欲しいなと思いました。(まじで誰様???)


 結果、見に行って後悔はしてないし、あー結局これかって感情と松倉しか勝たんって感情がより強化されただけやからまあいいんですけど、(デビューは置いといて)出世?成長?のための余地はたくさんたくさんあると思いました。きっぱり物事を言える人が少ないのかなんなのか知らんけど、これからもブラッシュアップし続けることができればいいなと思いました。(皆さんプライドがありはるからパフォーマンスの難易度や尺を削るとなると悔しいでしょうが、全体主義だと思って受け入れてください。まあこんな一意見が実現するはずもないですが。)
 あともう一個のグループの出番多すぎって話は前から聞いてたけど概ね賛成でございます。(唯一あの推され度合いに値してるかもって偉そうな柄に思ったのは基でした、ダンスも歌も発声もお芝居も上手だと思いました)場つなぎや転換のためやとは思うけど、にしても出番が多いしセリフもえらい多いなと確かに感じました。まあそれだけ出すならもうちょっと状況説明に使っても良かったと思うし、もし虎者のパフォーマンスの負担が大きすぎて頻繁に出てきてもらってるのであればストーリーのためにも出番のためにも削っても誰も異論はないと思います。次はどう変わってるかな〜〜?(来年もデビューしてない&当たる気満々)

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