僕は今確かに本屋の中に立っているのだと思う。しかし本当にそうだろうか。僕は僕の現在地について確信を持つことができない。スマアトフォンの地図のように僕の現在地は今にもずれてしまいそうだった。ただ一つ確かなことがある。それは僕の目の前に村上春樹の新刊が広げられているということだ。それは紛れもなく歓喜的な事実なのかもしれないし、悲劇的な啓示なのかもしれない。それを詳しく判別できないくらいに僕は疲れ過ぎていた。しかしそんな疲れは一時的な現象に過ぎない。僕が村上春樹の新刊を買うかどう
返信が来ない。待てど暮らせど来ない。僕が彼にメッセージを送ったのは1週間程前のことだ。あれはひどい雨の日だった。僕は窓を思い切りしめて鍵をかけた。決して雨の匂いが入ってこないように。しかし雨は風の力を借りて僕の窓へ激しく打ちつけた。どんどんと叩きつけるようなその音が鳴るたびに僕は返済の催促を思い出した。僕はその狭い部屋に閉じこめられてしまった。僕はその時冬眠中のクマを想った。彼らはその狭く暗い穴ぐらの中で何を思うのだろうか。何も考えやしないのかもしれない。それならおめでたい
ある日目を覚ますと僕は知らない車の中にいた。僕の腕は後ろで固くロープで結ばれていた。僕は車を運転する男に「ここはどこだ」とつとめて冷静に言った。男は笑った。 「えらく動揺しているんだな」 「質問の答えを聞かせてくれないか」 「いいだろう。しかしその前に俺が誰だか当ててもらおう」 僕にはその声を聞いても誰なのか全くといっていいほど見当がつかなかった。僕は一度でも会った人物の声は大抵覚えている。それは僕の体質のようなものだった。それなのにその男のコントラバスのように低くオペラ歌
2023年の1月28日、僕は彼女に出会った。それは珍しい雪の降る日だった。僕たちはある街のカラオケ店で出会った。大学生活の中での僕の楽しみは読書と音楽とカラオケだった。大学に友人など一人もいない僕は週に一度ほどカラオケ店で二時間くらい一人でビートルズのヘイ・ジュードを歌った。僕は本当にずっとヘイ・ジュードを歌っていた。歌詞の意味はよく知らないのに、そのメロディラインがなぜか僕の心を離さなかった。僕はヘイ・ジュードの歌詞の意味を知るのが怖かった。それを知ることでプラスになるの