諦めるということ

何かを諦めることは難しい。
一年中アツい人は「そんな簡単に諦めんなよ!!自分を変えたければサバになれ!竹になろう!今日からみんな富士山だ!!」とカメラ目線で檄を飛ばしているけれど。

限界でありながらも、何かをとめられない。
ダメだと分かっていながらも、何かを手放すことができない。
諦めたくても諦められないまま日々を重ねている人が、世の中には多い気がする。

「あと10連!あと10連回せば☆5がくるかもしんまい!!!!!1」

今はなき某音楽ゲームのイベントで毎回ぼくが叫んでいた言葉です。

だって、前のイベントで1回できたんだよ?またくるって思うじゃん。くるよね?周りみんな2〜30連できてるんだよ?ねぇ、ぼく今、何連してるの?

理解と受容は異なる。
現実や事実を蔑ろにして感情や妄想に囚われるのは人間の性である。悲しきかな。

一生懸命諦める。
これはかつてナンシー関さんとリリーフランキーさんの対談で生まれたスローガン。諦めるということは、なかなかできることではない。
しかしながら、ぼくはかつて何かを諦めた人に出会ったことがある。


10数年ぐらい前、ぼくが20代前半の営業職駆け出しだった頃。
当時勤めていた会社で右も左も分からなかったぼくは毎日のように部署の先輩と同行をこなしていた。

ある時3人いるうちの1人、30代半ばのA先輩と同行する日が訪れた。
事務所の朝礼でA先輩が話していたその日の予定を頭に入れ、じゃあよろしくということとなり、先輩の車に乗り込む。

「そんなに肩肘張らなくて大丈夫だから。」
穏やかな口調のA先輩だが、朝礼で発表していた訪問予定企業はどこも有名なところばかりで、ぼくは緊張を隠せないでいた。

どんな営業トークを炸裂させるのだろう。
どんな話術で商談を決めていくのだろう。
新人のぼくは緊張と期待が入り混じっていた状態だった。
営業車が走り出す。A先輩は割と運転が荒かった。

車で移動をすること15分ほど経った頃、吸い込まれるように入ったのはある施設の駐車場。
あれ?目的地まで大体40分ぐらいかかるような、、、?

「着いた。ゆっくりしよう。」

そこは、ショッピングセンターだった。
週明けのど平日、開店時間10時ピッタリである。人なんかいたものじゃない。
「え?」と困惑しながらも「はぁ、、、」先輩と車を降りて施設の中へ入る自分。1階の広場に到着すると先輩はなんの躊躇もなく言った。


「じゃあここに3時間後ね。」


先輩はそそくさとその場を立ち去っていった。
理解が追いつかないぼくはスタンディングイン広場オブ人気のないショッピングセンターオンマンデー。
いやあの、ちょっと、もう少し。神様、もう少しだけ説明をください、、、

週明け月曜の朝イチからサボタージュをぶちかます先輩。
当時新入りのぼくにとってこんなにシビれる人は見たことがなかった。

「朝礼で話していた予定は全部嘘だったんですか!?」
「訪問予定先の企業って本当に先輩の担当先なんですか!?」
「そもそも今日のこと日報になんて書けばいいんですか!?」

質問したくてももう先輩どっか行っちゃったし。
なんか遠目で見えるけど、ジュース持ってんじゃね!?
何飲んでるんだろう、、、いや!そういうことじゃなくて!

困惑したぼく、とりあえず先輩に倣って月曜朝のショッピングセンターで時間を潰すことにするも、行き着いた先はゲームセンターのメダルコーナー。
恐らく年金生活のおじいちゃんがスロットコーナーで北斗の拳打ってる。THE 世紀末!鬼の哭く街、カサンドラ!!
しかし、こんな時間でスーツを着ながらメダルで遊んでるって社会的に終わってる絵面な気が、、、というか、全っっっっ然楽しくねぇー!さっきから頭に響いてくるアッパーな電子音をどうにかしてくれ!てかゲーム機で金魚すくってなにが楽しいんだYO!

ぼくはもう30分ぐらいで飽きてしまい、館内をずっとウロウロしてフードコートでお昼を早めに済ませ、集合場所の広場で先輩を待った。先輩はきっちり3時間後に現れた。
何してたんだ1人で3時間も、、、サボりのプロ。暇つぶしにも技術がいるのだなとこの時思い知った。

その後先輩はたまにかかってくる取引先や事務所からの電話に対応し場所を移動、ホームセンターで園芸コーナーを眺めたり、「MR」と称して百貨店の物産展へ行って試食をしまくったり、コンビニで雑誌の立ち読みをしまくったりしていた。
途中、朝礼で話していた企業の近くを通ったがスルー、「ココ、寄ったことにしておいて。」とニコやかにぼくに言ってきた。


「いやぁー、1日あっという間だねぇ。」

「そうですねぇ、、、(あなたがそうおっしゃるのなら、そうなのでしょうね、、、)。」
※注)先輩がコンビニに寄っていた時車中で寝ていたぼく

「俺、いつもこんな感じだから。」

「えぇ、そうなんですかぁ、、、?(まぁそうなのでしょうね、、、)」

ハンドルを切りながら先輩が続けて言う。

「俺さ、給料泥棒って人から言われても、もう何も感じないんだよね。」

夕陽に照らされた先輩の横顔は眩しく、そしてそこはかとなく哀しかった。


きっとこの先輩も、闘っていた頃があったのだろう。
会社や世の中の人間関係や道理に揉まれて、それでいて立ち向かっていた時期もあったのだろう。
やがていつからか、流れに逆らうことが馬鹿馬鹿しくなってくる。
言われたことをしていればそれでいいと俯くようになる。(この日に限っては自分で言ったことすらもしていない)
己が持つ情熱とか、信念とか、青臭さとか、そういったものがガラクタみたいに思えてきて、どうでもよくなったのかもしれない。
笑顔で言い切った先輩の横顔に微かに残る寂しげな表情を、ぼくは見逃さなかった。
先輩にとっても、諦めるということはとても難しいことだったのかもしれない。

帰り道、先輩とぼくはその日書く嘘の日報の打ち合わせをした。
帰社してその内容をタイプしていた時、ぼくは「映画でも見てればよかったのかなぁ、、、」といらぬ反省をしていた。


あれから早幾年。
何かを諦めた先輩は元気にしていらっしゃるだろうか。
「マラソン大会近いから会社の周り走ってるんだよね。」と話していたこともあった。
いやいや、フツーに、離れたとこでやってください。

そしてそんな先輩に、今、ぼくは倣っています。
中途半端な良心をぶら下げながら。

あーマーベルドラマ、面白いなぁ。(鼻ホジクソ社会人)



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