たまに思い出す人

「あの人今何してるんだろうなぁ、、、」
そんな風に思い出す人が、誰にでもいると思う。
何かのきっかけで。またはふと突然に。
ぼくの場合は15年以上前にアルバイトとして勤めていたネットカフェで店長をやっていたYさんだ。

Yさんは関西出身で短髪、身長160センチあるかないかの丸っこい体型の人だった。顔はなすなかにしの中西さんがメガネをかけずにもっとふっくらした感じ。社員の人事異動で初夏の頃に前任の店長とバトンタッチ、という経緯だった。

「おぉー!はじめましてやな!Yです。にしても今日あっついなぁ!ドリンクバーのソフトクリーム持って帰って家で食うたろおもたけど無理やな、とけてまうわ!ガハハハハ!」

これがYさんに最初に言われたことだ。

「よろしくお願いします、○○(ぼくの苗字)です。家、近いんですか?」
「近いも何もすぐそこや、引っ越ししんどかったわぁ!なんかあったらいつでも連絡せぇよ!2分で着くわ!サトウのごはんや!ガハハハハ!」

これがYさんとの最初の会話だった。
あまりにも衝撃的で鮮明に覚えている。
いわゆる関西弁というものは、テレビやラジオの中でしかほぼ耳にしたことがない言語だったので、実際に聴くとこんなに圧倒されるんだなぁと当時のぼくは思った。
Yさんの向かいに座る引き継ぎを終えた現店長はケタケタ笑い、隣に座るエリアマネージャーはこれが苦笑いかって感じの顔をしていた。

Yさんはとにかく精力的だった。
それは仕事に対してではなく、どちらかというと人を笑わせたり、和ませたりしようとすることに対して。Yさんは勤務時間のありとあらゆる時間においてボケをかまそうとするのだ。特にぼくに対する時が多かった気がする。

それは、もうほんとにしょうもないというか、こちらももう笑うしかないねコレ、というか、とにかくそんな内容だった。
そして生意気を言うなら、私にとってその笑いの方向性は、なんだかとても素敵だった。
矛盾しているかもしれないけれど、ガツガツして「笑いをとりに行くぜ」みたいな暑苦しさがない笑いだった。その時思ったことを瞬時に口にして華があるような。
下心も嫌味もなく、ただ、「ふとんがふっとんだ〜!」みたいなことを純粋無垢な眼差しで言ってくる。子供が公園や街中で拾ったどんぐりや虫を両手いっぱいに親に見せるときのようなきらめきがあって、なんかもう思わず笑ってしまうのだった。
スラスラと口から出てくる関西弁もとても心地よかった。

「お前はよう笑ってくれるな!前の店やったらこんなんなかったぞ!」

勤務が被って間も無くYさんとは親しくなり、会話が多くなった。
それは、ぼくがお笑いが好きなことが理由としてあるかもしれなかった。
Yさんは古今東西、お笑いの文化にとても精通していた。
ぼくはぼくでお笑い番組に多く目を通していたので見識の広さにはそれなりの自負があった。

「お前、あっちこっち丁稚知ってんの!?マジで!?」
「はい。昔の漫才ならエンタツアチャコなんかも観ました。」
「おま、マジかー!!!すげぇな!」

Yさんが新喜劇のようなリアクションをいちいちしてくれることがとても嬉しかった。関西の本場に生きている人とお笑いの会話ができることが、ぼくは誇らしかった。
Yさんからはその後お笑いに限らずいろんなおすすめの番組、映画を教えてもらった。今でも観るものがたくさんある。
「ダウンタウンの浜田おるやろ?アイツが通っとった日生学園あるやん?あっこに俺も行っててん」などと刺激的な話もしてもらった。
あれはリアルすべらない話だった。

他のアルバイトスタッフからは、Yさんはどことなく嫌がられていた。
それは、マジで、基本何もしないからだ。
シフトは二人制で、一緒に入ってもYさんは基本カウンター受付だけ。清掃、調理、漫画の収納他雑務はほぼ全てこちらが行うこととなる。前店長が色々こなしていただけあってその素行が目立ってしまっていた。
こちらが部屋清掃でせっせと動いている傍ら、カウンターでPCを触りながら冗談をずっと言っていたり、調理をしていると思い出したように厨房エリアに入ってきてまた冗談、最終的にはカウンター横に陳列してあるお菓子を手に取って、「ヒマやな、これこうて裏で食おうや」、である。

「ふざけんなよ、アイツ、マジで何もしねぇわ。」
時々視察面談に来るエリアマネージャーも会うたび血圧を上げていたようだった。

ぼくはYさんのことがどことなく憎めなかった。
それは、責任ある立場にないアルバイトだからだったのかもしれない。
だけど、Yさんの底なしの明るさというか、全身から漂わせている「景気のよさ」みたいなものが、ぼくは好きだったのだ。
Yさんはいつでもどんな時でもブレなかった。ブレずに冗談の千本ノックを、誰のためでもなく、ただ自分がしたいがために毎日し続けていた。自分で満足していた。その姿を見せ続けてくれるYさんがぼくは好きだった。
そしてそんなYさんが原因かは分からないけれど、赴任から約半年後にぼくが勤めていた店舗は売上がワースト1位となってあえなく閉店の運びとなり、ぼくたちは職を失った。

「おう、○○か!自分今何してんの?」

しばらくしてYさんから電話があった。

「バイト探ししてます。明日面接っすよ。Yさんこそ何してるんですか?」
「ん?俺?、、、ニート?ガハハハハハ!!」

なんかYさんらしいなと思った。よく分からないけど。
聞けば蓄膿症の手術をしていたらしい。寂しくなって病院の屋上から電話をかけたという。
大雑把な感じの人ほど、こういうところが結構繊細なのだ。よく分からないけど。

それからYさんと色々話した。
詳しくは覚えていない。ただ、これからのこととか、もっともっと先々のこととか、お笑いのこととか、とりとめもなく話した気がする。

「お前、元気でな。元気があったらなんでもできるわ。」
「それ猪木さんじゃないすか笑」
「バレた?ガハハハハハハハ!」

元気があればなんでもできるし、元気がある人からは元気をもらえる。
あの人は今もいろんなことを元気に笑い飛ばしているのだろうか。

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