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ポスト・コロナの学校②~「生命への畏敬の欠けたところに教育はない」~

そもそも「学校」とは?

新型コロナ禍下で、ICT環境の整備が進められている。知識の習得については、「学校に通えなくても学ぶ」ことができるようになる状況が整えられているということだ。

そうなると、学校はなんのためにあるのか?ますます意義を失う。

学校でない場所で、情報端末から学ぶ。そうすれば、こどもどうしのトラブルは激減、いじめもゼロに近づくはずだ。しかし、それで人間の成長に必要なことが満たされるのだろうか。「本当にそれでいい」と言えるだろうか。それなら、もはや教師は必要なくなり、AIにとってかわられるだろうが、そうとは思えない。

子どもたちの成長に必要な体験や学びは、人間関係のトラブルとともにあると言ってもいい。教師として、これまでの経験から学校でともに多くの仲間たちと学ぶことの意味、重要性はおろそかにはできない。それは確かなことだ。

生命への畏敬

新型コロナによって、「それなりに元気で過ごせる」という「ごく当たり前の日常」がどれだけ大切かを身にしみて感じた。それは、阪神淡路大震災や東日本大震災が起きた時と似ているように思う。そこから学んだ「生命の大切さ」。自分の命が大事にされているという感覚を実感することの尊さ。生命への畏敬の欠けた所に教育はない。」とは、林竹二の言葉だ。

そのことを原点に、日々変化し答えの見えないこれからの世界でもとめられる学力を考え、教育課程の工夫をしていきたい。また、子どもたちの声を聴くことを忘れずに、学校行事や学級づくりを進めていきたい。

そして何より、笑顔で日々子どもたちと接していきたい。「みんなに会えることが何よりうれしい」―。その思いを忘れずに。







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