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ポスト・コロナの学校① ~「自分で学ぶ力」を育てる~

第3波が猛威を振るってきたコロナウイルス。ここでもう一度、基本的な視点は何かを考えてみた。

コロナ禍を受け止める基本的な視点

①コロナ=「悪玉」という単純な構図でとらえないこと

 こうとらえると、コロナは「撲滅すべきもの」→「そのためなら何でも許される」という押し付けの正義がまかり通ることになる。そうすれば、感染者の排除や差別を正当化したり、感染を隠すことでさらに拡大したりしてしまうことになる。

②コロナ禍はだれに対しても「平等」に起こっているわけではない。

「社会的弱者」により大きな被害を与えている。それが、さらなる不平等・格差・差別へとつながる危険性があることを忘れない。

③コロナ禍の克服とは、これまでの問題点を問い直し、新たな改革をしていくことである。

もとの状態に戻ることが「よし」ではない。明らかになった諸課題を受け止め、今後の改善や方法を見つけ出していくことこそが「克服」である。

以上3点を踏まえて、学校現場の具体的な諸課題を見直していくことが大切だ。自分なりに、ここまでの一年を振り返っていきたい。

臨時休業中の「学び」

 まず、多くの子どもたちは学校を楽しみにしている、そのことを改めて知ることができた。「遊びたい」「友達と会いたい」「勉強をしたい」。学校再開の初日にそんな声を聴いてほっとしたことは今も忘れない。正直、もっと休みたいという声を聴くかもと思っていたが、それは杞憂だった。学校って、やっぱり子どもたちにとって大きな意味を持つんだと実感した。

 休業期間中の学習については、プリントを教職員がポストに届けることで対応。また、HPに動画をアップしたりや学ぶコンテンツを紹介したりする対応をした。そのときに明らかになったのは、どんな学びをしたらいいのかを「自分で考える力」を育ててこれなかったということだった。

担任をしていたとき、漢字・計算ドリルはなるべく学校内でやるようにして、「自学ノート」による自主学習を私は宿題の代わりにしていた。書く内容は、テスト勉強や予習・復習だけでなく、自分の趣味や将来の夢に関係することでもOK。筋トレや読書の記録などもいいし、習い事や塾などで忙しいときは提出しなくてもいい。その代わり、自分で計画を立てて、それを目標に取り組む。

しかし、保護者から不安の声が寄せられることは間違いない。そこで子どもたちにアンケートを取り、その結果を4月の参観日で授業として発表。10分で自主学習の意義を話し、残りの30分は「とにかくやってみよう」と、保護者にこどものそばに行ってもらい、話し合ったり見守ったりしながら、子どもたちに取り組ませた。

その後も、学級通信で1年間継続的にノートや取り組みを紹介していった。夏休みの宿題も最低限のことを指示し、あとは「自学ノート」。終えたノートは教室の端に積んでいき、「自学タワー」を作った。取り組みを視覚化することで、一人では難しいこともみんなで取り組むことで継続することができた。子どもたちからも好評で、最終的には一人平均6冊は終わらせていた。(もちろん、学習支援が必要な子どもには個別に対応)

「宿題は何のためにあるのか」。その一つの大きな答えが、「大人が安心するため」だということを、この1年で子どもたちに教わった。大人は、子どもが勉強しているかの不安を解消するために、目に見える「宿題」という形を求めているのだ。実際、宿題がなくても、テストの点数は下がらなかった。

コロナ禍の学習に対する不安やプリント配布を求める保護者の声に、学校も対応せざるを得なかった。それは、「自ら学ぶ力を子どもたちに育てる」ということへの自信のなさもあったのではないか。学校行事でも同じことが言える。音楽会・運動会などを、感染予防だけでなく、本当に子どもたちの主体的な学びを進めるという観点で、もう一度見直していかなくてはならない。

②へ続く





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