見出し画像

本に向かう

近頃は
主人公に繊細な悩みを抱えさせたがるような
創作物が好きではなく
メンデルの遺伝学から細胞学について
噛み砕いた本などを柄にもなく読んでいます。

短く読んでは眠くなる。あまり進まない。
けど誰が何をしたか、記録として嘘はない。
料金設定のある出版物ならば
ネット上の広告塗れの読み物より信頼性がある。

けっこうな頻度、
SNSなどで想像上の仮定でレスを送ったり
そんな手軽さ故の、知らない誰かの主観が
バチバチぶつかり合うのか日常となっていて
解釈次第で180度、物事の見え方が変わる困惑に
いったんソーシャルディスタンスを置こうかと。古

子供の肖像権に無関心な人々が、
絵になるからとの理由で写真撮影目的で群がり
公共の通行を妨げるだとかが今時なりの問題を
引き起こしていて。

一応、大らかな時代は
一眼などのカメラを持つ方は趣味人と認定され
許可の必要なく認められてきた事だったと思う。
今は全ての人がカメラ機能を持ち歩く時代。

私は重いカメラを持ち歩くのが困難で
今を良い時代だと思う反面、
建物と植物の組み合わせが好きで写真を撮り歩く際
何故、何をここで?とばかりに
睨みつけられる事が増えた。
そんな表情したあなたは撮りたくもな…

疑問の答えに行き当たったように思え寂しくなる。
まだ女性だから通報されないんだなと思うと
複雑になる。年齢上がったなら徘徊扱いかな。

個人的には人など写り込ませなくはないし
植物も建物も肖像権外ながら
咎める人には不快である事が第一で
私の言い分など、どれも気にも留めないと思う。
スマホを翳す行為への過剰なアレルギー反応。

今時こういうものだよね、という
統一行動を思わぬ方向に焚き付ける作業に躊躇する。

複数人と自撮りするなら傍目にも分かりやすく、
警戒解除されるだとか。
記念の為だけにカメラは使うもので
それ以外の動植物に向けるなど気持ち悪い。
と言い放った例もあったそうで。

数年先には自宅前で鬱陶しいという理由で
通報されそうだなという気がする。
同盟国のように発砲されないだけマシなのか?
免許証は携帯しとこう。

切り貼りだらけの常識が、魔物を作り出す。
自分たちの首を益々締め上げ窮屈にして
心の行き場を失くしメンタルに跳ね返ってくる。
相談できづらい助けを求めづらい社会を作るのか。

誰もが老いて弱り、思う様に見聞きができなくなり
スマホどころかPC画面も読み取れず
似た色をした1円玉と百円玉の区別も
しづらくなるのは確実なのに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?