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映画館を追う

3回目のPERFECT DAYSを観に行きました。
何だろう、気に入ってしまったのです。
が、DVDになったとき観るかは分からない。
ロケ地ツアーをしたいともさして思わない。

あらすじは勿論、
もう表情もセリフも大体覚えてしまったのに
誕生日週に休みを繋げ
残った上映先を追いかけ、やはり行ってしまった。
多分また数年は映画館へ行かない様に思う。


主人公が独り身だということ
質素な暮らしを楽しんでいること
音楽や読書、写真、植物を育てることを
趣味としていながら
一緒に歌いもしない、作品について語りもしない、
写真の出来栄えを力説もしない。
思い通りに写らず半分以上破いて捨てる。
潔い。
日々の中にも木漏れ日や陽光の加減を
黙り微笑んで会話をするかの様に楽しんでいること。

人との絆をゴリ押しするものでなく、
ひと一人の感性を封じ込め
そっと肯定してくれるような空気に
慰めを感じても良いじゃないですか。
普段と違う安心を得に、カフェラテを片手に
入り込む暗闇。

仕事に自己肯定感押し込まなくても良いよね。
職場に主婦パートさん多いと
社会と繋がりたい女性の鬱屈とした想いが絡まって
元気がある証拠なんだけども
何かとマウント合戦に傾きがちで。
自身は同性とより異性の方が気が合う事が多く
冷めた目で見ているせいか、浮く。
ボートが通った波にユンユン揺られながら
川面に浮いたまま眺めてるような気持ち。


映画に戻ると
人に向かって主張し表現しないだけに
寂しく儚いけれど、確かな直接の対話を
植物や雨風や陽光、音楽、活字と交わしてる様で
何か羨ましくなる。

やたらと言語化しない慎み深さとでもいうのか、
誰にもわかる様な形にしたとたんに
さっと空気に溶ける様に消えてしまうような繊細さを
やはり生身の心身を抱える人間は
持っているものなんじゃないかなと思う。

正直、幼少期にカセットテープは普通だったし
フィルムカメラも使用してたので新鮮味は無く
懐かしい世界だった。
そんな頃はカメラを持つと趣味人扱いされたけど
スマホで気軽に写せる今は誰もが容易い事だからか
写真撮影してると面倒臭そうに、通行の邪魔をしていなくても人から睨まれる。その際一応謝る素振りはする。でも写す。(必死です)
お金を支払って得て、ありがたかったものが
そうで無くなった事が多くなったのを思い出す。


あつらえたようなカセットとラジカセの木棚。
必要最小限の部屋。的確な居場所のある道具。
その日、垣間見た物の残像を夢に見るような感性。
ハイボールはともかくタバコにも馴染みがない。
初対面の人の話を聞き、
なぜだか無邪気に影踏みを始める。
それでも迫ってくる老い。

なのに、なんだか羨ましい。
私の睡眠時は部屋と同じく記憶も真っ暗闇の毎日で
初回から大事な機会が欠けてる気がしている。
百均で便利そうなグッズを買い込むのもよろしくない気がしてくる。

しばらく思うままに反芻したいと思います。

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