らくごハローワーク 第15職

落語にはさまざまな職業が登場します。演芸評論家の相羽さんならではの切り口で落語国の仕事をみてみると……。

女房の『尻餅』搗(つ)いて春近し

 年の瀬が迫ってくると、昔の人は正月に食べる餅を搗(つ)く算段をした。たいていの家庭には搗臼(つきうす)があって、家族総出で、時には近所の人と共同で餅搗きを行った。
 餅米を蒸す者、杵で搗く者、その餅を捏(こ)ねる者、搗き上った餅を丸めたりうすく伸(の)したりする者など、分業で進められた。
 一段落して、皆で、搗きたての餅を大根おろしに付けて食べる味は、格別であった。こうした手順を一手に引き受ける“賃餅”を専門とする職業が存在した。
     ◇          ◇
「どうやって年を越すんや」と、大晦日に女房はぐうたら亭主に声を荒らげる。餅を搗くお金がないのだ。そこで亭主は一計を案ずる。賃餅屋が餅を搗いている音だけを聞かせて、世間体を取り繕うことを考える。
その夜、厳寒の屋外に女房をつれ出し、下半身を露出させ、手で尻をたたいて“音”を演出する。女房はその余りの痛さに耐えかね「後の二臼は白蒸し(しらむし。小豆のない強飯)にしておくれ」。
      ◇         ◇
 『尻餅』と題する珍作だ。
餅の歴史は古い。紀元前の中国、周(しゅう)の時代にさかのぼる。
 古くから神への供物とされた。正月の鏡餅に始まり、三月の上巳(じょうし)の節句の菱餅、祝儀の折の鳥の子餅、建前に撒(ま)く小判餅など、儀式喜札に搗いた。ことに餅を撒く行事は現在でも全国のさまざまな場所で行われ、人々の心をとらえる企画になっている。
 料理法としては、切餅や丸餅で作る雑煮、黄粉や餡(あん)をまぶす安倍川餅、焼餅に海苔(のり)を巻く磯辺餅、蓬(よもぎ)・栗・胡麻・黒豆・黍(きび)と一緒に搗く餅、保存食のかき餅など用途は広い。
 餅のことを大阪弁でアモと言う。一説に、アンモチ(餡餅)→アンモ→アモと転化したのではないか、と言われている。今や死語に近い。
 子がなく養子を迎えた後に生まれた実子を「焼き餅子(ご)」と称した。蚊柱のことを「餅搗き」とも言う。江戸期に、子供が初誕生日前に歩いた時に搗く餅を「尻餅」と呼んだ。
 餅の話題でモチキリだが、今回はこの辺で。

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