夏休みの宿題代行が売ってる件
メルカリで夏休みの宿題の代行が売っていたらしい。もし娘が小学生でメルカリから宿題代行を買っていたら、たぶん褒めると思う。賢いやり方だと思う。
苦労は買ってでもしろと言うけども買えるような売ってる苦労はお金で解決したほうが楽。無理に買うことはない。嫌でも苦労しないといけないときがある。お金で解決できるならお金払ったほうがいい。
金とコネは使えるなら使ったほうがいい。
と昔、母に言われたことがある。
僕は苦労が必ず美徳になるとは思わない。頑張ることは大事だが評価は結果で判断したほうが公平だ。頑張りなんて、その人の気持ち次第だし。
チャンスは平等。結果は不平等。授業の姿勢とか出席は関係ない。試験の結果だけで判断しますと大学のときにある授業で言われた。
シビアな評価すると嫌われてる先生だったが僕は好きだった。判断がわかりやすくてフェアだと思った。
高校もテストの結果でしか評価がされなかった。テストの難度は関係なく24点以下は赤点で10段階で2がついた。25点から34点は3。35点から44点なら4がつく。中間で4、期末で6だったら通知表に5がつく。終業日に通知表もらわなくても自分で成績は計算できた。ちなみに追試はないから成績が悪ければ容赦なく留年になる。
単純明解な成績の付け方だった。おかげで頑張るところがどこかわかりやすくて僕は好きだった。先生の気分とか印象で成績が左右されない。フェアだと思っていた。難度が高くて赤点の人がたくさんでたこともあったけど。
僕は夏休みの宿題を最後にためてやるタイプだ。いつも泣きそうになりながら来年こそは計画的にやろうと思いながら毎年同じことを繰り返す。そんな僕のことをみかねて5歳上の姉と母がたまに手伝ってくれる。
小学生のとき中学生の姉が書いた読書感想文でめちゃくちゃ褒められたことがある。姉は絶妙なレベルで文章を書いてくれる。これ小学生じゃないでしょ?とは思われないような感じで書く。しかも本は全部読まない。あとがきと途中だけ読んで、それっぽく書く。
母が代わりにやった裁縫の宿題は優秀作品として展示された。そりゃ大人が縫ったら上手いだろなと思ってた。
家族が手伝った宿題とメルカリで買った宿題に差はないと思う。むしろ今の仕組みを使ったメルカリのほうが賢いと思う。
仕事でも自分で出来ないことはお金を払って解決する。それが仕事の仕組みの一つだし経済の仕組みでもある。
お金で宿題を買ったら意味がないと主張するのはちょっと短絡的な思考なんじゃないかなぁと思った。無条件で努力を認めるような感じがして、個人的には賛同できない。やりたくないことに時間かけることも無駄だと思う。頑張る=OKでもない。結果的に無意味な頑張りもある。
お金で解決できるんだったら、それも手段の一つだと思うなぁ。
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