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同人誌の時代「6」再び描き手が集まる。

 新規同人誌も2号目までは私個人の作品のみで構成されているが、3号目以降から、最初の同人誌立ち上げを一緒におこなった中学時代の友人A君やK君が参加してくれる事になり、雑誌らしい感じになってきた。

 詳細は忘れてしまったのだが、まずは私の高校内で回覧していたのだと思う。その後は参加してくれる同人も増え、それぞれの高校や職場等、私の知らない場所へと貸し出されて行く事になる。その際、本に藁半紙(懐かしい)を裁断し束ねたメモ用紙を添えて、感想を書いて頂き読者コーナーでご紹介させて頂いた。面識のない読者の皆様から結構真面目な感想を頂き、おまけに本が破損したり紛失したりと言うようなトラブルも無く、今も私の手元にあるというのは本当にありがたい事だと感謝している。


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 連載作に関して言えば、原作のある「赤ん暴君」以外は、大まかな筋は考えてはいるものの、ネームもきちんとは描かず、ほぼぶっつけで描いており、途中に、余計で脱線するようなギャグが挟まれていて、中々物語が進行しないという感じのマンガになっていた。


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それでも創刊から始まった「レオノーラ」は当初の予定通り3号で完結を見た。思えば同人誌で描いてきた作品の中では、中学生の時に挑戦した「星の王子さま」以来の完結作品だった。

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パロディする人間なら誰でも通る道(個人の感想です)「日ペンの美子ちゃん」御多分に洩れずやっていて、この後の人生においてあと二度程やっている。二度目は高校の部活、映画研究会の広報ポスター(8ミリ映画を制作していた)三度目はプロになってから。元ネタの使い回しだ。


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 プロになって本当に良かったと言う事の一つに、活字が使えるという事がある。現在のようにパソコンを誰もが持っている時代では無かったので、素人が活字を使うには印刷所に頼むか、後年に世に出るワープロを待たねばならなかったのだ。ゆえにこの頃のパロディは手書き文字だし、パロディ以外のマンガのセリフ等も全て手書きだ。ついでに言うと、仕事用の原稿は紙の表面だけに描くが、この同人誌は両面に描いた原稿を製本している。

 3号の読者ページでは世界各国の「レオノーラ」を紹介する特集が組まれる。当時、みのり書房の「OUT」に影響を受け、それがギャグのベースの一部になっている。もう一つの元ネタは赤塚不二夫の、こちらは出鱈目な英語版、中国語版の「天才バカボン」このネタも好きなネタで、プロになってから何回か手を変え品を変え行っている。三子の魂というけれど、70年代から80年代に受けた物の影響はその後も色濃く作品に反映されるようになる。新しい物も取り入れなければ、時代とずれてゆく事になる。気を付けたい。


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高校入学して1年で4号まで発行する事が出来た。2年生になってもそのまま定期的に発行を重ねて行く事になる。5号以降は参加同人も増え、ページ数も増えていったのであった。

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