【読感】実践日々のアナキズム

『アナキスト柔軟体操』ジェームズ・C・スコットのあみだした個人的反逆の手法です。
スコットの『実践日々のアナキズム』という本で紹介されています。まだ途中ですが面白すぎて書いています。

ドイツの田舎町で、信号機のある交差点を電車待ちの時間で観察する著者、一定の時間で青赤を繰り返す信号機。昼間の交通量の多い時間に合わせて設定されていて、夕方にはほとんどクルマが通らないのに、4,5分も待って真面目に信号機に従う人々をみて、これはおかしいのでは?と思うのですが、赤信号で渡るのは勇気がいる。信号待ちの人々からの冷たい視線に耐えて、ようやく渡ることができた。

法を守るのがいつでも無条件に正しいのか?日頃から理にかなわぬ些細な法律を破ってみる。自分の頭を使って、その法が理にかなっているのか判断するのがアナキスト柔軟体操です。

もちろん、信号無視をするときには、周りにまだ判断力の未熟な子供がいないかを見回して、真似しないような配慮が必要です。

アナキスト柔軟体操は、小さな法律破りですが、思考停止をやめて、もっと大きな命にかかわる戦争のような法律的には正しくても、倫理的には許されない出来事が起こったときに、待てよと考える訓練になる。

オランダ(少しあやふや)では、交差点の赤信号は本当に必要なのか?と疑問に思って、交差点の信号を無くして、一方通行のロータリーにした。黄色で飛ばして交差点に進入する危険な行為がなくなり、信号に従っていれば大丈夫だとの注意散漫さが無くなって、運転手は気をつけてロータリーに進入するので、事故が減った。

フランスでは、タクシー運転手の増税とかへの抗議行動として、一斉に制限速度を守り、結果として交通麻痺を起こす遵法闘争が行われるらしく、小さな法律違反が社会を機能させていることに気がつく。

アメリカの黒人差別との戦いは、一人の婦人ローザ・パークスがバスの白人専用席に座った法律無視が、大きなバスボイコット運動の発端になった。

などなど。
信号機の例は、似た例として私も自転車の走行について変だなと思うことがあります。都会の歩道は歩行者が多いので自転車は車道を通るべきですが、田舎の誰も歩いていない道で、しかも二車線で路肩がほとんどない道を車やバスがビュンビュン走っているところを、車道を走る自転車は危ないなと思います。そんな場所は歩道を通ればいいのでは?交通安全講和で警察の講師の方に、質問しても明確な答えはなかったのですが笑

このような例は、災害での避難行動でもあると思います。東京大学特任教授の片田先生が以前紹介されていた例で、目の前に危険が迫っているのに避難指示が出てないから逃げない人々、法律や公助に頼り切り、自己判断ができなくなっている。アナキスト柔軟体操は自立した生き方を、助けるのではないでしょうか。

とまあ、アナキスト柔軟体操はやってみる価値がありそうです。

これを知ったのは、小川さやかさんのゲンロンカフェでの紹介からです。文化人類学者の小川さんは非常に面白い方で、『その日暮らし』の人類学という本とか、『チョンキンマンションのボスは知っている』(これから読む予定)とかの著書があります。

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