「墨汁一滴」の東日本漫画研究会(石ノ森章太郎)以外の同好会~辰巳ヨシヒロ、佐藤まさあき

戦後漫画の勃興期、漫画家を目指す若者たちにより、多くの同好会が生まれたといいます。

最も有名なのは石ノ森章太郎さんが設立した「東日本漫画研究会」です。

宮城県に住んでいた小野寺章太郎(石ノ森さんの本名)さんが、高校一年生の時に結成しました。

1953年(昭和28)のことです。

手塚治虫さんが全国の子どもたちに衝撃を与え、戦後の漫画の出発点と言われる「新宝島」(育英出版)の発売は1947年(昭和22)ですので、その6年後です。

小野寺少年は「毎日中学生新聞」や「漫画少年」に自作の漫画を投稿していました。

そこの読者欄で「東日本漫画研究会」の仲間を募ったのです。

主だった活動は肉筆同人誌「墨汁一滴」の発刊です。

墨汁一滴

創刊号はほぼ、石ノ森章太郎さんが描きあげたと言われています(一冊しか作成していないので、現物が残っていません)。

「墨汁一滴」は10号まで発行されましたが、未来のプロ漫画家がメンバーとなりました。

「天才バカボン」の赤塚不二夫さん、「山口六平太」の高井研一郎さん、長谷邦夫、横山孝雄さん、横田徳男さん、伊藤章夫さん、徳南晴一郎さんといった面々です。

高井研一郎さんが長崎県出身ということもあり、九州支部もできます。

その名も「九州漫画研究会」です。

そのメンバーには「銀河鉄道999」の松本零士さんもいました。

戦後初の漫画同好会は、劇画の辰巳ヨシヒロさんが立ち上げた「子供漫画研究会」(KMK)と、ご本人が著書「劇画暮らし」(角川文庫)で書いています。

設立は1950年(昭和25)2月、辰巳ヨシヒロさんが14歳の時です。

メンバーには辰巳ヨシヒロさんの2歳上の兄である桜井昌一さんも入っています。

肉筆同人誌のタイトルは「漫画の明星」。

5名でスタートした「子供漫画研究会」は、全員で競作をして「漫画少年」や「少年ジャイアンツ」といった雑誌に投稿し、100%の入選確率を誇ったといいます。

劇画の佐藤まさあきさんも同好会を結成しています。

佐藤まさあきさんの著書『「劇画の星」をめざして 誰も書かなかった〈劇画内幕史〉』(文藝春秋)に書かれています。

グループ名は「あけぼの会」。

メンバー集めは「毎日中学生新聞」の読者欄にて、1951年(昭和26)4月に募りました。

機関誌のタイトルは「新天地」。

新天地

メンバーは最大200名にもなったそうです。

「漫画少年」に投稿で入選者に手紙を送り(当時は入選者の住所が掲載されていた)、スカウトしたのです。

会費も徴収していたというので、本格的です。

『「劇画の星」をめざして 誰も書かなかった〈劇画内幕史〉』には、他の同好会も掲載されています。

ユーモア倶楽部 戸口ツトム
どんぐりクラブ 小林正夫
新生漫画研究会 斉藤健二
少年漫画友の会 小田昭一
朝日漫画研究会 佐藤浩二

この中で漫画家になった人はいないといいます。

戦後、手塚治虫さんが作り上げていった漫画文化に呼応した若者たちが、多くの同好会を作っていたようです。

また資料がありましたら、追記していきます。


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