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映画館でトイレに行きたくなって

 映画館に行って、面白い映画を観ているときにトイレに行きたくなることほど最悪なことはない。

 だから映画が始まる前に必ずトイレに行くことにしている。特にしたくなくてもだ。みんなもそうでしょ。

 だけど、その日は上映時間ギリギリに映画館に入ったこともあり、特に気にすることなく座席についてしまった。そしてトイレに行っていないことに気がついたのは、上映開始から三十分が経ったときだった。

 そのときは特にもよおしていなかったので大丈夫だと思っていたが、行っていないと思うと気になって仕方がない。そのうち本当にトイレに行きたくなってしまった。

 うーん、どうしよう、と思ったときは上映開始から一時間が経過していた。中途半端な時間だ。我慢できないこともないが、クライマックスで映画に集中できないのも嫌だ。

 もうここは行って来るしかないかな、とこっそりと立ち上がり、他のお客さんの邪魔にならないように腰を屈めて出口まで向かった。

 なるべく素早く済ませて座席に戻りたい、そう思ってロビーに出ると不思議な感覚にとらわれた。

 あたりを見回すと上映中のロビーには誰もおらずシーンとしていた。先程まで人で溢れかえっていたのに、今は僕だけしかいない。当たりまえのことだけど、今までここにいた人たちは扉を隔てた向こうで映画を観ているからだ。

 そのときだった。じんわりとその感覚はやってきたのだ。すごく自由で軽やかな気分なのだ。そして体の奥底から湧いてくるワクワクする感じがあった。

 これは以前どこかで体験したことがある感覚だった。

 すぐに思い出した。学生時代に授業を抜け出して保健室に向かう感覚とそっくりなのだ。

 特に体調は悪くないのに、授業を受けたくないと言う理由だけで、保健室へ向かったあのときの感覚とそっくりなのだ。

 みんなが仕方なく授業を受けている教室を抜け出し、誰もいない廊下を一人で歩いていく。それは保健室へ向かうまでのほんの少しの時間に過ぎないのだが、限りなく自由に感じたのだ。

 今思えば、反抗期の幼稚な行動に過ぎないのだが、誰にも強制されない自由をそこに見いだすことができたのは確かだ。

 ここではない、どこかへ。あの頃の僕はずっとそう思っていたように感じる。

 今はどうかと言うと、まったくその様には感じない。大学に入学するために田舎から東京に出てきて、好きなように働き、好きな人と結婚した。年に何回かは海外旅行をして、この都市に住めるかどうかを二人で話し合ったりもする。だけど世界中のどこにでも自由に行けるのに、あえてここにいる。

 食事だって初めての店よりも、何度か行ったことがある店に決めることが多くなった。

 何でも自由に選べることに飽きて、決められたことをする安心感を優先するようになっていた。

 これを進化と言うのか退化と言うのか僕にはわからない。だけど何かから抜け出す爽快感がなくなったのは確かだ。あの頃の僕が聞いたら怒るような気もするけど、自由っていったい何だろうって思う。

 僕の場合、自由の中に自由は存在しない。もっと詳しく言うと、自由の中に自由を感じる気持ちが存在しない。

 そんなことを考えていたので、座席に戻ってもまったく映画に集中できなくなってしまった。こんなことがあるから、上映前にトイレを済ませておくことは大事だとあらためて思い知らされた。

 ごめんね、タランティーノ。次はちゃんと映画に集中します。

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