見出し画像

『旅はうまくいかない』

チェコ編⑤「観光すれば閉館、店に行けば食べ物が冷めている、どうにもうまくいかない僕らは、気分を変えるために、プラハに唯一ある日本式のラーメン屋に向かうのだが…」

飛行機に乗れば酔い、枕が変われば、眠れない、食べなれない物を口にすれば、お腹を壊す。そんな軟弱者だが、知らない場所には行ってみたい。

今回はチェコのプラハと田舎町ミクロフへ。チェコビールを飲みまくり、混浴サウナにドギマギし、熱波のヨーロッパにヘキエキする。旅はうまくいかない方が面白い。チェコ七日間の旅。

なんだか妻が不機嫌だった。

どうやら今のところチェコという国がお気に召さないらしい。

「何かこの旅はうまくいかないのよね」と妻が言った。

目の前のシナゴークの扉をことを言っているのだろう。扉は閉じたまま、びくともしない。

今日が日曜日ということもあって、僕らはプラハ城に行くのを明日にした。観光客でごった返している場所に自ら飛び込んでいくことに躊躇したからだ。その代わりと言ってはなんだが、本日は旧市街をゆっくりと散歩しようと考えていた。

そしてガイドブックに出ていた豪華なシナゴーグを見に行こうと考えたのだ。シナゴーグというのは、ユダヤ教の宗教施設だ。だが、その肝心のスパニッシュ・シナゴークは、つい最近なんらかの理由で閉じてしまったらしい。せっかく絢爛豪華なシナゴークを見学しようと思ったのに当てが外れてしまった。

「他にもシナゴーグならあるけど、どうする?」
だが、妻は機嫌が悪いのか、首を横に振る。
「もういいわ」

すっかりヘソを曲げてしまったようだ。ここに来る途中で、プラハのマグネットを買ったのだが、その店は他の店に比べて明らかに高かった。そのことに後で気がついて腹を立てているのだ。こんなときは何か美味しいものを口にすればいいのだが、朝食を食べたばかりだ。

時計を見ると、まだ午前十時、ビールを飲むのも早いだろう。

「プラハ本駅でも見にいこうよ」

そう言って、無理やりに目的地を作ることにした。二日後にミクロフという田舎町に列車で行く予定があったので、下見がてらに行ってくるのは悪くなかった。それにプラハ本駅は歴史があり、美しい駅舎で有名だ。

しばらく歩いていくと公園があった。僕はふとあるものを見つけて立ち止まった。

「どうしたの?」と妻が訊く。
「あれ、見てよ」
「なに?」
公園の隅に置かれている物体に向かって僕は近寄って行った。
「なに、これ?」と妻がさらに尋ねる。
「これたぶんトイレだよ」
「でも、どこにも囲いがないじゃない」と妻が呆れている。

そのトイレは青空トイレだった。一見すると遊具のように見えるが、明らかに男性用トイレだ。

「こんなの使用する人いるの?」
だが近寄ってみると確かに使用したあとがある。なにしろアンモニアの匂いがすごいのだ。

僕はふと試してみたくなった。だが実際に立ってみて驚いた。便器の位置が高すぎて背の低い僕には届かないのだ。

「大人用だな。子供には無理だ」
その姿を見て、妻が笑い転げていた。

「そんなにオシッコしたいの?」
「いや、そんなことはないよ。ただちょっと試してみたかっただけ」
すっかり妻の機嫌が直っているようだった。

プラハ本駅は、地下鉄の駅が併設されていることもあって、とにかく人が多い。いつも思うのだが、駅周辺というのはどうも治安が良くない。どうしてもこうも雰囲気が違うのだろうか。

酒を飲んで横になっている人たちがいる。そして見るからに薄汚れた身なりをした人たちもいた。

こんな場所ではボヤボヤしていてはいけない。荷物に注意し、携帯をむやみやたらに取り出しては駄目だ。フランスでだが、妻の友人は携帯を目の前で盗まれたことがあったからだ。

駅のホームを確かめて、トイレの位置もなんとなくわかったので、僕らは足早に駅を去ることにした。

美しい駅舎をもっとゆっくりと眺めたかったが、明らかにジロジロとこちらを伺う男がいたので、油断している場合ではない。

「ヨーロッパの駅って、どうしてこんな感じなんだろうね」と妻が言った。
「いろんな人たちが出入りするからだろう」と僕は答えた。

日本と違い、地続きで繋がっているために他国からの訪問者も多いからだ。空港はそうでもないが、列車の駅は何か物々しい雰囲気があった。それはフランスでもイタリアでも変わらない。

いかにも駅に用のない人間が、ブラブラとたむろしている。その人たちと僕は目を合わせないようにした。気配を伺いながらも絶対にそちらを見ない。何かあったら戦うとまでは言わないが、逃げる準備をしておいた方がいい。

とても大げさに聞こえるかもしれないが、海外では何が起こるかわからない。用心することにこしたことはない。日本にいるとこの手の能力はまったく使用しないのだが、海外では自然と心の警報がなる。なんだか怖いなぁ、と思ったらその思いを無視せずに、行動にうつさなくてはならない。

「さぁ、行こう」と僕らは足早になった。
時刻は午前十一時だ。そろそろビールでも一杯やりたいところだ。

ガイドブックを見ると近くに有名なボスボダがあるらしい。ボスボダとはチェコの飲み屋のことだ。

店はすぐに見つかった。プラハの店はどこもそうなのだが、一階は飲み専門で、二階は食事も出す。僕らは昼ごはんも食べようと考えていたので、迷わず二階に上がった。

有名店なので混んでいると思ったが、時間がまだ早いのか、客は僕らだけだった。僕らは窓際の一番いい席につくことにした。

メニューはチェコ語だった。その横に英語も書かれていたが、よくわからない。

僕らはとりあえずビールを注文し、ガイブックに写真が載っているソーセージの煮込み料理を頼んだ。

すぐにビールがやってきた。繁華街の中心地にある店だというのに、ビールの値段はやすい。一杯二百五十円ほどだ。チェコのピルスナーは本当に飲みやすくて美味しい。

だが、次にやってきたソーセージの煮込みはそれほどでもない。煮込み料理だというのに、冷めていたのだ。このように冷めた料理を食べるのだろうか。それとも作ってそのまま放置してあったのだろうか。そこのところはよく分からないが、どちらにしろ冷めたソーセージ煮込みは美味しくなかった。

また妻の顔が沈む。
「チェコに来てから、どうしてもうまくいかないわ」

なんだかなぁ、といった感じである。うまく波に乗れないサーファーのような気分だ。どこかにいい波はないのだろうか。僕らのチョイスに問題があるのだろうか。

お腹は空いていたが、これ以上この店でごはんを食べる気分にはならなかった。

ビールを飲み干すと僕らはすぐに店を出ることにした。ガイドブックに載っている店とは、こんなレベルのものなのだろうか。横着せずに自分でネットで探した方がいいように思えた。

さて、どうしようか。困ったことになった。ビールを飲んで小腹が空いたこともあって、どうしてもラーメンが食べたくなってしまったのだ。それもチェコで。

ここは日本ではない。だが、プラハには日本式のラーメン屋が一軒あった。それもここから遠くない。ネットを見るとそんなに評判が悪いわけではなかった。

調べているとどうしてもプラハのラーメンが食べたくなってしまった。僕らはすぐにその店にむかった。だが、店はすぐ近くにあるはずなのになかなか見つからない。

それもそのはずだ。日本のように暖簾がかかっているわけではない。プラハのラーメン屋はおしゃれなカフェのような店構えだった。僕らは観光案内所で聞いて、やっとその店を見つけることができた。すでにそのまえを何度も通り過ぎていたのだ。

店は思った以上に流行っていた。チェコ人たちは器用に箸を使ってラーメンを食べている。僕らはビールを頼み、醤油ラーメンを注文した。すぐに運ばれてきたラーメンの見た目は悪くない。チャーシューがふんだんにのっている。一口食べるとまずまずの味だ。ネットの情報だと日本で修行したチェコ人がやっているらしい。

カウンターの奥を覗いたが、厨房の奥までは見ることはできなかった。

「どうかな、このラーメン?」と僕は妻に訊いた。
「悪くはないんだけど、すごく美味しいかと言うと疑問ね」

日本人である僕らはラーメンの味にはきびしくなりがちだ。

「でも流行ってるみたいだよ。みんなこのラーメン食べてるし」
「これが日本のラーメンだと思ってほしくないわ」

妻は厳しく言ったが、僕はこれはこれでいいんじゃないか、と思っていた。だがそれは会計を済ませるまでのことだった。

持ってこられた明細を見た僕は驚いた。ラーメンとビール、それぞれ二杯注文して四千円をこえていたのだ。チェコの物価から考えるとかなり高い。それに十五%のサービス料金もついている。

いったい、どんなサービスをしてくれたと言うのだ。まるで高級ホテル並みのサービス料じゃないか。海外で日本のラーメンが高級料理だと聞いていたが、サービス料を取られるとは思ってもみなかった。

一気に僕のテンションも落ちてしまった。どうしてもチェコでうまくいかない。またしても波に乗れない。この旅はずっとこの様に続くのだろうか。

妻の機嫌がまた悪くなった。ホテルにかえって昼寝でもしてリッセトしないことには耐えられそうになかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?