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『小さな旅』

 どうでもいい話なんだけど、八月の末に一泊旅行を予定している。

 僕ら夫婦は、もう限界だったのだ。普段なら三ヶ月に一度の割合いで海外旅行をしている。それが知っての通りコロナの影響でどこにも行けないからだ。

 どこかへ行きたい、という思いは、まるでネズミ捕りのトリモチのように僕の頭の中にべっちゃりとひっついて剥がれない。

 もちろんこんな時期に旅行をすることが、良いことだとは僕だって思わない。もちろん奥さんも。

 そこで、近場でいいからどこか一泊でもできればいいんじゃないか、という妥協案を出すことにした。一泊できるなら都内のホテルだってかまわない。ちょっと大袈裟だけど、僕らの思いは切羽詰まったところまで来ていたのだ。

 では、どこに泊まるのか。旅の醍醐味は非日常にある。そう考えると都内では高級ラグジャリーホテルがいい。さっそくネットで調べてみたのだが、さすが高級ラグジャリーホテルだけはあって、お値段の方も非日常だった。

 うーん、うーん、うーん。冗談抜きで僕は三回ほど唸った。根っからの貧乏根性が染みついた僕には、どんな強力な洗剤を使ったところでぬぐい落とせないものがある。

 降参するしかなかった。そこで場所を変えてみることにした。東海道線をゆっくりと下っていくと鎌倉があるではないか。

 鎌倉には海もあってお寺もある、そして何よりも素敵なレストランがたくさんある。

 さっそく奥さんに相談するとオーケーが出た。次はホテル選びだ。鎌倉にはそこそこのお値段のホテルが何軒かあるが、僕はあえて民泊してみてはどうか、という思いがあった。以前、ポーランドのクラクフという都市で泊まったアパートメントホテルが忘れられなかったからだ。そこはホテルと違い、朝を起きて窓を開けることができた。その窓から入ってくる風の心地良いことったらなかった。まるでその街にずっと住んで生活しているような錯覚をおぼえたからだ。

 ふと閃いた。鎌倉に住んでいるような気分になりたい。小さいながら旅のコンセプトは決まった。
 できればマンションよりも一軒家の方がいい。僕は海辺のそばにある古い一軒家を見つけた。値段も一泊一万と安い。海まで歩いて二、三分ほどだ。

 朝早く起きて、海まで散歩して、最近買ったアウトドアチェアを置いて、暖かいコーヒーを飲んだらどんなに気持ちがいいだろうか。片目をつぶれば、ここは南仏だ、コートダジュールだ、と思いこめないこともない。

 そこでもう一度、奥さんにお伺いを立てることにした。ネットの画面を見せ、今回の一泊旅行のコンセプトを説明し、泊まる一軒家も見せた。

 だが、どうも奥さんの顔が冴えない。詳しく聞いてみると、海辺の散歩までは良かったらしい。だけど、泊まる場所が気に入らないと言うのだ。
 でも、部屋はきれいにリノベーションされていてオシャレで心地よい雰囲気だ。何がいけないのだろう。
「お風呂が嫌なの、昔住んでいた実家のお風呂みたいじゃない」と奥さんが言った。

 僕はまったく気にしていなかったけど、改めて見ると確かにそうだ。昭和感は否めない。
どうやらこのお風呂に入ったら、うちの奥さんは一気に日常に戻ってしまうのだろう。

 そうだった。改めて思い出したが、旅の醍醐味は非日常にある。確かにヨーロッパでの民泊には非日常が満載だが、国内の民泊では日常そのものだ。

 やっぱりホテルを探し直そう。だけど海辺に近いことだけは譲れない。朝の海辺の散歩は絶対だ。

 やれやれ、といった気分だったが、不思議と怒りもなく悪くない気分だった。なんでだろう。気がつくと、べっちゃりと僕の頭の中にひっついていたネズミ捕りのトリモチが剥がれていたからだ。

 そうだった。僕は旅に出ることよりも好きなことがあった。それは旅の計画を練ることだったのだ。 

 (イラスト 上田焚火)

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