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「ただ行ってみたくて」ポーランド編12

移民を受け入れていない国、ポーランドについて。人手不足?治安は?

ポーランド旅行記12

「あの人、かっこいい!」

妻がウェイターに見とれている。長身、彫りの深い顔、ブルーグレーの瞳、たいていのポーランド人はこの三つを兼ね揃えていた。

美しい女性が多い国だとは聞いていた。それと同じように美しい男性も多い。

妻はメニュー表よりもウェイターの男性の方が気になるようだ。

「それで、何にする?」

低身長、のっぺり顔、腫れぼったい目の夫である僕が訊く。

「なんだか、ポーランドの男の人って、優しい顔してるのよね」

そう答える妻はまったく僕の話を聞いていない。まぁ仕方がない。四六時中、僕と一緒にいてイケメンに飢えているのだ。おお目に見よう。

確かに厳ついポーランド人もいるが、全体的に見て、男性は優しい雰囲気だ。体が大きいのに威圧感を感じさせない人が多い。

それに外国人である僕らに対しても優しく接してくれる。紳士的な対応だ。まだ、ポーランドに来て差別的な待遇に出会っていなかった。偶然なのだろうか。

フランスなどでは、露骨にアジア人を蔑む人たちがいて、カフェなどでは、表通りの一番いい席には座らせず、奥にあるトイレの近くの席に座らせられることもある。

この国だって、人種差別はあるだろう。ただ、ポーランドには移民がほとんどいない。93・5パーセントの人がポーランド人なのだ。

移民の多いフランスと移民の少ないポーランド、人が宗教や民族の違いを受け入れることが、どんなに困難なことかを肌で感じる。

これは日本にもいえることだが、やはり同胞同士で生きていく方が楽なのだろう。仕事を分配しあい、困ったときには助け合う、何も言わないでもわかるお互いの距離感。

単一民族の国は、まるで大きな田舎に住んでいるようなものだ。お互いの目もあるので犯罪も少ない。

その通りポーランドは本当に治安がいい。すでに時刻は午後九時になろうとしているのに、僕らは歩いてレストランに来ていた。きっと帰りもタクシーを使わなくても大丈夫だろう。

フランスやスペインでは、こうはいかない。地下鉄やバスならまだしも、夜遅くに歩いてホテルへ帰るなど、襲ってください、と言っているようなものだ。帰りは必ず、レストランでタクシーを呼んでもらわなくてはならない。

なんだか、複雑な気持ちだ。

ところで、何を食べるかだ。僕らはミルクバーと呼ばれるポーランド特有のレストランに来ていた。

ミルクバー?まさかアルコールの代わりに牛乳を飲ませる店?

そんなことはない。ミルクバーというのは、共産主義時代に、安く栄養のある食事を国民に提供するために、国策でつくられたレストランのことだ。これだけは共産主義時代に賛成だ。

ほとんどの店がセルフサービスで、店の内装も簡素なために、どこか学食を思わせる雰囲気がある。

民営化された現在でも昔の方式のまま営業している店も多いが、今日僕らが来た店のように、内装もおしゃれにして、ウェイターが給仕してくれる店もある。

おまけに値段は、昔のまま安いのがいい。一品が五百円以内で、量も多いから千円もあればお腹いっぱいになる。

僕らは、ポーランドのカツレツであるコトレットと、トマトクリームのスープであるポミドロヴァを頼んだ。夕方、部屋でビールは飲んだので、赤ワインで乾杯だ。

ネットで探したのだが、この店は若者たちに人気があるらしい。次から次へとやってくる。オシャレで値段が安く、量も多いとなれば、それは間違いない。

すぐに料理が運ばれてきた。

まずはスープだ。ここポーランドは冬の寒さが厳しい国だけあって、スープの種類が多い。スープがあれば何もいらない、と言うほどにスープ好きな国民らしい。

僕らが頼んだトマトクリームのスープには、マカロニが入っていた。少し酸味がある暖かくて優しい味わいだ。妻は、このスープが気にいったようだ。

スーパーマーケットにいくと、たくさんの種類のスープの素が売っているらしい。値段も安いので日本へ買って帰ろうと思った。

次にやってきたコトレットは大きい。豚肉を大きく引き伸ばし、衣をつけて揚げた定番料理だ。周辺諸国だと、イタリアのミラノ風カツレツが有名だ。

レモン汁を絞ってふりかけ、ナイフで切って、妻と取り分ける。

思った通りの味だ。サクサクして衣が香ばしい。油が新鮮なのか、あっさり味だった。

赤ワインを飲みながら、次々に食べていく。

総じて言うと、この国の料理は美味しい。どこで食べてもハズレがない。この分だと持ってきたカップ麺は食べなくてもいいかもしれない。

僕らは満足して店を出た。午後十時、やっとクラクフの街にも夜がやってきた感じだ。

街灯は少ない。道路の両側それぞれの建物から電線がはられ、道路の中央にライトがぶら下がっている。こんな不安定な感じでライトが落ちてこないかと心配になってくる。

仕事帰りの人たちが、路面電車に乗っていた。もう店はどこも閉まっている。十時で閉店のようだ。

ふと見ると、持ち帰り専用のケバブ屋だけが開いていた。若者たちが並んでまで買っている店だ。

へぇ~、ポーランドにもトルコ人は来ているのか、と店を覗くと、中ではポーランド人がケバブサンドを作っていた。やはり移民はいないのか。

この国は移民を受け入れていなくても人手不足はないのだろうか。日本のコンビニなどは中国人の留学生ばかりだが、こっちのコンビニでは、その様な他国の人が働いているのを見たことがない。

夕方に行ったコンビニに行くと、中には店員がいるのに、扉が開かなかった。中から店員が腕をクロスして、クローズだ、といっている。どうやら二十四時間営業ではないようだ。

日本のコンビニに慣れた僕らには、不便だとは思うが、ここにいると深夜遅くに働いている人がいる日本にこそ違和感を感じた。

そうだ。日本は客の便利を追求しすぎて、結局自分たちの首を締めているのだろう。誰もそんな夜中に働きたい人などいない。その皺寄せが海外の留学生へと向かっている。移民を受け入れないでいながら、もう既に人手不足は深刻化している。それを留学生という曖昧な人材でごまかしているのだ。

便利を追求していくために、移民を受け入れることになる。そして移民を受け入れることは、違いを受け入れて寛容になることだ。安い賃金で働かせながら、その人たちを差別するのは許されない。

何かを受け入れるリスクを、僕らは選ぶ時代に生きているのだろう。

大量生産、大量消費ではない、昔のような小さな世界には、もう戻れないのだろうか。大量に売って稼ぐ、大量に買えば幸せになる、という価値観は、もうとっくに限界に来ているのかもしれない。

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